袴田事件再審 姉のひで子さんが法廷で読んだ「弟の悲しすぎる手紙」と巖さんに知らせなかった「母の死」

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見解が分かれる2人のベテラン弁護士

 半世紀近く前から関わってきた弁護団の田中弁護士や小川弁護士は当初から捏造を主張したが、古参弁護士から「警察が捏造するはずがない」「警察が捏造したなんて品のないことを言うものではない」などと諫められていた。筆者が2人に「原審から捏造を主張すれば無罪になっていたのでは?」と問うと、小川弁護士は「そう思います。一審の段階で5点の衣類がおかしいという話は全くなかった。当時(捏造を疑っていた)ならどんどん資料が出てきて捏造が浮き彫りになったと思いますよ」と話した。

 一方、田中弁護士は「小川さんとは意見が違うのですが、当時は5点の衣類の捏造を主張してもそれを通すのは難しかったと思います。(捜査機関は)捏造などないと信じていた裁判官たちの神話を打ち破るのは難しい。当時は証拠開示もないし、優秀な弁護士であっても一審で無罪にするのは難しかったと思う」と話した。そして今回の再審判決については「捏造のことを避けて判決文を書くなら裁判官失格です」と強調した。

巖さんの変化

 結審の日の公判で検察は、事件の時、たまたま旅行のため唯一難を逃れた被害一家の当時19歳の長女(故人)が、犯人だと疑われているという風評被害に苦しみ、精神を病んだことなどを遺族綴った意見書を代読した。巖さんが2014年3月に釈放された直前にこの長女は亡くなっており、「事件に関わっていたので自殺したのでは」という噂もあった。

 これについて角替清美弁護士は「検察は言葉を詰まらせながら読んでいたけど、どうしてそっち側(遺族)のような顔ができるのか。ちゃんとした捜査をしなかったから遺族が苦しんでいるのに」と怒りを見せた。

 第1次請求審の途中から弁護団に入り団長を務めた西嶋勝彦弁護士は、今年1月に82歳で亡くなった。長男の一樹さんが裁判所に駆けつけ、弁護団入廷の際には横断幕も持っていた。また、会見席には遺影が飾られていた。小川弁護士は「西嶋先生の思いを何とか訴えられた」と感慨深げだった。

「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)の山崎俊樹事務局長(70)は、「9月に無罪判決が出ても、検察の控訴を何としても阻止しなければ」と一層の支援を求めた。

 この日も浜松市の「見守り隊」(猪野待子隊長)のメンバーは、巖さんがニュースに触れないように外に連れ出し、夜の打ち上げ会にも参加して静岡市から戻ったひで子さんと合流して午後10時ごろに家に戻したという。巖さんは最近、自分のことが出ているニュースを見たりすると非常にナーバスになったり、苛立ちを見せたりすることが増えたそうである。出廷しないとはいえ、法廷闘争が最終盤に入って、巖さんの心の中でなんらかの変化が現れたのかもしれないが、これだけは第三者には皆目わからない。

 ひで子さんはこの日の会見で「9月26日が終われば巖に説明します。それまでは裁判の話はしません」と話している。

【註釈】一般に「袴田事件」と呼ばれるが、殺人・放火事件そのものには袴田巌さんは無関係なので、本来は「清水事件」などと呼称されるべきだろう。有名な冤罪事件でも、財田川事件、島田事件、足利事件、布川事件などは川の名前や地名が冠される。免田事件は地名でもあり人名でもある。一方、梅田事件は冤罪被害者の名が冠されるなど名称はまちまちだ。本記事での「袴田事件」とは、冤罪事件、捏造事件という意味での「事件」である。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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