袴田事件再審 姉のひで子さんが法廷で読んだ「弟の悲しすぎる手紙」と巖さんに知らせなかった「母の死」

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「知らないうちに過ぎてしまいました」

 死刑執行に怯える東京拘置所での生活で、巖さんは1990年頃からひで子さんが面会に訪れても「俺には姉などいない」と拒否し、「天狗と闘っている」と言い出すなど次第に言動は支離滅裂になる。ひで子さんは「特に隣の房の人が死刑執行されて完全におかしくなった」と言う。

 釈放後も拘禁症状の影響が抜けない。弁護団は「巖さんは心神喪失で自己防御ができない」として出廷の免除を求め、國井裁判長は巖さんと会い、通常の法廷対応は無理と判断した。そのため本人は出廷せず、ひで子さんが意見陳述を行うことになったのだ。

 閉廷後の会見でひで子さんは「死刑と言ったようですけど、耳が遠いので聞こえませんでした。検察の都合と理解しています」と話した。NHKの記者がひで子さんの「怒り」を引き出そうとするかのように執拗に質問するが、あからさまな怒りは見せない。

 無実を示す白い服で出廷したことを問われて「思い切り白で参りました」と笑わせた。

 ひで子さんは「58年かかったのも理由はあるでしょう。裁判所は順繰り送りしていたと思う。3年経てば(検事が)転勤するからと。長いけど知らないうちに過ぎてしまいました。でも、この1年が尊い。58年(間)は検察の都合。巖を処刑しなかった。巖はおかしくなっちゃったけど」などと語った。

争点となる血痕の色の変化

 巖さんの第2次再審請求審では、2023年3月に東京高裁が再審の開始を決定。検察は抗告を断念したが、7月に再審で有罪立証することを明かしていた。

 10月からの15回(結審を含む)の再審公判は、味噌タンクに1年2カ月漬けられていた「5点の衣類」が焦点だった。静岡県警は当初、犯行時の着衣としたパジャマは付着した血痕が「人血らしい」としか判別できず鑑定が不能だったため、犯行着衣とするには根拠が不十分だった。そのため、検察は、事件翌年の8月に工場の味噌タンクから発見された5点の衣類を犯行着衣としてパジャマから変更した。しかし、再審請求審で証拠開示された写真では5点の衣類に赤い血が付いていたため、弁護団は「1年以上味噌に浸かって血痕が黒ずまないはずがない。発見直前に放り込んだ警察の捏造」と主張していた。

 14年3月に静岡地裁(村山浩昭裁判長)が捜査機関の捏造の疑いを指摘して再審開始を決定し、巖さんを約48年ぶりに釈放した。だが、検察抗告を受けた東京高裁は同地裁が判断根拠としたDNA鑑定を否定して決定を取り消す。再収容はしなかった。

 20年12月に最高裁が東京高裁に差し戻した際の「宿題」が、衣類の血痕の色調変化の吟味だった。検察は血痕の変化を見る実験を行い、それを視察した東京高裁の裁判長は赤みが残らなかったと述べている。これが再審開始決定に大きく影響した。

 実現した再審では、弁護団は実験を行いその結果を示したが、検察側は7人もの科学者を共同鑑定者としながら実験は全く行っていない。それでも検察側は「1年余り味噌漬けになっても赤みが残る可能性がある」として5点の衣類が犯行着衣と改めて強調した。

「5点の衣類の血痕」の赤みが残らないことは捜査側の捏造に直結する。弁護団事務局長の小川秀世弁護士(71)は再審公判で「真犯人を隠そうとした警察が袴田さんを犯人に仕立てた」とも示唆していた。

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