袴田事件再審 姉のひで子さんが法廷で読んだ「弟の悲しすぎる手紙」と巖さんに知らせなかった「母の死」
ようやくこの日が来た。5月22日、袴田事件の再審が結審した。袴田巖さん(88)と弁護団の無罪を求める「長すぎた」闘いは、事実上、終わり、世紀の冤罪事件の再審判決は9月26日と決まった。1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社の専務一家4人が惨殺された事件で死刑囚となった巖さんと姉ひで子さん(91)の闘いを綴る連載「袴田事件と世界一の姉」43回目。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
死刑求刑の衝撃でへたり込んだ若い女性
バン、バン、バーン。3回の打音が静岡地方裁判所の202号法廷に響いた。
「被告人を死刑に処し……」と主任検事が論告求刑した瞬間、田中薫弁護士(77)が弁護団席の机を3度、強く叩いたのだ。続いて「裁判長!」と村崎修弁護士(71)が大きな声を上げる。
「保管中のクリ小刀を没収するのを相当と思量します……」などと続く検察の論告を最後まで聞かず、國井恒志裁判長「休廷します」と休廷宣言してしまった。
同じ頃、静岡地裁から近い静岡市民会館では、巖さんを2014年3月の釈放直後から密着取材したドキュメンタリー映画「袴田巖 夢の間の世の中」(2016年、金聖雄監督)の上映会があり、傍聴券の抽選に外れた支援者らが集まっていた。会場にいた人にも死刑求刑の情報が弁護士からの連絡や報道機関の速報などで入ってきた。午後2時半頃、若い女性が会場から飛び出してきてロビーの床にへたり込んでしまう。
「死刑求刑したって聞いたんです。そういう求刑があるだろうとは聞いてはいましたが、辛くて(映画の中の)巖さんの顔を見ていられなくなってしまったんです」と呼吸を整えてから話したのは、事件が起きた静岡市清水区に住む中川真緒さん(23)だった。
中川さんは再審裁判に興味を持ち、15回の公判に欠かさず通った。これまで8回、傍聴し、ブログで傍聴記「清水っ娘、袴田事件を追う」を綴っている。
さらに、昨年、浜松市の巖さんの自宅を訪れたそうで、「同じ23歳で巖さんとお友達になれたんですよ」と喜ぶ。「同じ23歳」という理由は、拘禁症状の影響が抜けない巖さんが、昨年9月、國井裁判長に法廷外での極秘面会で年齢を問われて「23歳」と答えていたからだ。
開廷前、裁判所の前で中川さんは「中学の頃、巖さんが釈放されたニュースを見ていたけど、社会に出てきたんだから無罪になっているとばかり思っていました。そうじゃなかった。その後、裁判資料を調べたり、ご本人にお会いして無実を確信しました。死刑求刑するなんて許せない。検察官の顔は絶対に忘れません。私は長生きして、半世紀後にもこんなひどいことがあったことを世に伝えたい」と決意を話していた。それでも現実に死刑求刑を知ると、動転してしまったのだ。
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