年商4000万円のキクラゲ農家になった元ソフトバンク・中原大樹さんが語る、同年入団の柳田悠岐への感謝

スポーツ

  • ブックマーク

公式戦に出られないまま引退

 引退した野球選手の第二の人生は多種あれど、こちらはバットをスキとクワに持ち替えて「農家」への転身だ。しかし相手は思うに任せぬ大自然。金の工面も土地の手当てにも一苦労――。彼らの汗と涙の道のりをノンフィクション・ライターの西所正道氏がたどった。【全中後編の後編】

 ***

 キノコの一種、キクラゲの栽培を手がける、元ソフトバンク内野手の中原大樹さん(31)。

 ソフトバンクファンでさえこの人を知らないかもしれない。鹿児島城西高校時代に通算36本塁打を放った強打を買われ、2010年の育成ドラフトで2位指名を受けるが、2軍の公式戦にすら出られないまま14年に引退したからだ。

 同じ年の育成4位にはメジャーリーガー千賀滉大、同5、6位にはWBC戦士の牧原大成、甲斐拓也がいた。指名順位では中原さんが上だったのだが、

「僕はケガが多かったんです。マッキー(牧原)も拓也も体はカタいのにケガしない。謎ですよね」

 選手としては満足できない終わり方だったが、同期の育成選手たちとともに汗を流したこと、同じ年の支配下ドラフト2位に柳田悠岐がいたことがかけがえのない財産になる。

引っ越し会社に就職、2年目に現場責任者に

 彼らが中原さんのセカンドキャリアにどう関わったかは後述するとして、引退直後はどんなプロ野球の試合も見たくなかったという。

 再びかつてのチームメイトのことを応援しようと思い始めたのは、引退して約1年がたとうとする頃だった。

「サカイ引越センターに就職しまして、仕事にも慣れたからでしょうね。育成のままだったので引退しても他球団からの誘いはないし、野球しかやったことがないから、やりたいことも頭に浮かばない。分かっているのはパソコンが使えないので事務職は除外するということ。じゃあ体を動かす仕事はどうか、と探して見つけたのが引っ越し会社の求人でした」

 引退の翌15年2月から引っ越し現場で働き始めた。結婚したばかりの妻の実家が福岡県内にあったので、そこから通勤した。力仕事には自信があったし仕事もすぐに覚えられた。社内評価は高く、2年目に現場責任者に昇格する。

「接客していると、ホークス時代の僕を知っている人が何人かいて、サインを頼まれたり写真を一緒にと言われたりして。ありがたいけど照れくさかったです」

 4年たって事務系の部署へ異動の打診があった。が、事務は苦手なので退職を考えていたちょうどその頃、岳父からキクラゲ栽培を一緒にやらないかと言われ、何度も話を聞くうちに興味を持つようになった。

次ページ:またとないチャンスが到来

前へ 1 2 3 4 次へ

[1/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。