「野球選手が農業? なめやがって」と言われ… 元中日投手・三ツ間卓也がイチゴ農家になるまでの険し過ぎた道のり

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「野球選手だったことがマイナスに作用したこともこたえた」

 だが、そんなのはまだマシだった。22年秋、契約寸前までこぎ着けたのに、三ツ間さんが元野球選手であることを知った途端、地権者が借地料を法外な額に引き上げた。相場の20倍以上。結局、決裂した。

「かなりヘコみましたね」

 と三ツ間さん。

「イチゴのシーズンを考えれば、年を越すともう1年開園が延びるでしょ。それでは3年間無収入が続く。家計的にも厳しく、夢を諦めなければならないかなって。野球選手だったことがプラスじゃなくマイナスに作用したこともこたえました。じんましんがワッと体に現れて……」

 だが、捨てる神あれば拾う神あり。

 じつは三ツ間さん、イチゴ農家になるまでのプロセスをSNSに上げていた。苦境を知ったフォロワーからDMが来たのは12月に入った頃。

〈土地ありますけど見ますか?〉

 見に行くと、神奈川県を走る相鉄線のいずみ野駅から徒歩圏内にある約300坪の土地だった。条件も合って迷わず契約。新年を迎えるギリギリ直前、12月28日のことだ。

鉄骨を一人で解体して…

 以降も楽をさせてはもらえなかった。まずは借入金である。

 金を借りるには、詳細な事業計画書を金融機関に提出しなければならない。始めてもいないのに5年先の目標を書く必要があるなど、頭を悩ます難題がいくつも襲った。10回以上は書き直し。ようやく4500万円の融資がかなった。

 体力的にキツかったのはビニールハウス造りだ。最初は土地の整備。長く耕作していなかったので木や草が生い茂っていた。夏の炎天下、チェーンソーや草刈り機と格闘し、ショベルカーに乗って整地した。

 さらにはハウスの資材運び。業者に頼むと100万円近くかかるので自分で運んだ。小田原市にある置場に行き、鉄骨を一人で解体し、運んでトラックに載せて持ってくる。10往復以上したそうだ。

「何十キロもある鉄骨の束を引きずって運ぶんですけど、野球で体を鍛えていてよかったなって。でもね、鉄骨で体をこするだけで血が出るんですよ。血だらけになって家に帰るから、子どもが怖がっちゃってね。“パパ、おなか血が出てる。かわいそう”って。人に切られたと思ったみたい」

 ハウスを組み立てる作業ではうれしいことがあった。SNSで手伝ってくれる人を募集したところ、たくさんの応募があったのだ。

「お弁当ぐらいしかサービスできなかったんですが、みんなお互いに仲良くなってくれたのもいい光景でしたね」

 肝心の苗は23年3月ごろから育て始めていた。5000株を用意したが、夏の暑さで3割が枯れた。そのせいでハウスに植える時には足りなくなっていたが、どうにか追加で育てて事なきを得た。

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