「野球選手が農業? なめやがって」と言われ… 元中日投手・三ツ間卓也がイチゴ農家になるまでの険し過ぎた道のり

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妻から言われた「好きなことを極められる人だと思う」

 話は新型コロナがまん延し始めた20年にさかのぼる。当時は誰もが外出もままならない状態。外に出たいとむずかる1歳半の息子に外の空気を吸わせたいと、マンションのベランダで家庭菜園を始めた。

 トマト、オクラ、そして「紅ほっぺ」「カレンベリー」などの育てやすいイチゴ。栽培法はユーチューブで勉強した。

「球場から帰るとベランダにライトをつけて農作業してました。“ナイターの延長戦”みたいだなと」

 三ツ間さんは笑顔で語る。

「育っていくのが面白いし、みんなおいしく作れたんで完全にハマって」

 極め付きとなったのは息子の一言だった。

「パパ、イチゴおいちぃ」

 イチゴ農家を勧めた妻はこのシーンを見ていた。妻はこう言った。

「厳しい環境の中でも、あなたはプロ野球選手になる夢を諦めずにかなえた。好きなことを極められる人だと思うんだ。もう一度好きなことにチャレンジしたら」

 これに三ツ間さんは、

「安定した仕事に就いて家を支えなきゃ」

 と返したが、妻は、

「私もリモートの仕事を続けるから」

 これで腹は決まった。

「イチゴだったら、摘み取りのハウスをやりたいというイメージがありましたね。おいしいねって喜んでいる顔を見るのが好きだから」

「野球選手が農業? なめやがって。できるもんか」

 まずは野球ファンをつかまえたいという思いから、五つのプロ球団がある関東圏で活動しようと決心。無収入の時期を何年も続けたくないと思い、24年1月のイチゴ農園開業を目指した。1年制の学校である神奈川県立かながわ農業アカデミーに入学し、住まいも22年3月、神奈川県に。

 わずか数カ月前とはまるで打って変わった暮らしが始まった。

 学校では、土、農薬、肥料、害虫などについて学び、ハウス一棟を任される栽培実習も。並行して横浜のイチゴ農園で研修を受けた。

 苦い思いをしたのは土地の確保だ。地縁がない中、通学しながら探したという。

「とにかくグーグルマップのストリートビューでひたすら農地を探しました。過去の写真を見比べて何年も耕していない土地の所有者を探して頭を下げました」

 足を運ぶこと約50軒。その過程では、

「野球選手が農業? なめやがって。できるもんか」

 と追い返されることも。

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