「亡くなった妻が有機野菜で料理してくれたことを思い出し…」 元巨人投手・河野博文が農家になった理由
長嶋茂雄さん自ら看板の字を
営業のかいあって販路は拡大。13年には「株式会社げんちゃん」を設立。スーパーに加えて飲食店への売れ行きも好調で、15年からは農家に栽培の委託を開始、販売量を増やした。
さらに同年、農閑期の収入減を埋めるべく、高崎市内に「居酒屋大喜屋げんちゃん」をオープンした。
店名が大書された看板はひときわ目を引くものだった。
それもそのはず、長嶋茂雄巨人終身名誉監督の手になるものだったからだ。
その数年前、東京・田園調布の長嶋邸に玉ねぎを持参したことがある。04年に脳梗塞で倒れて以来、懸命にリハビリしている様子を見聞きしていた。現役時代には、長嶋監督がアンパイアに「ピッチャー、げんちゃん」と投手交代を告げた逸話もあるくらい親しくしてもらい、かわいがられた。再ブレイクを助けてくれた恩人を、玉ねぎで応援したかった。
「毎朝散歩なさると聞いていたので、帰宅される時間にご自宅近くで待って直接お渡ししました。長嶋さんは“おー、ありがとう”と。それ以降も送り続けていて、直接お礼の電話をもらったこともあります。“おいしかったよ”と」
店名の字はリハビリの合間を縫って書いてくれた。
「あの字は、利き手ではない左手で書いてくださったんです。『長嶋茂雄 3』というサインは3パターンぐらい送ってくださったかな。“自分もリハビリやってるから、げんちゃんもくじけず頑張れよ”というエールのような気がして、励みになりましたね」
昼と夜、居酒屋に立つ一方で、玉ねぎを使った餃子や漬物などを商品化して販売する“6次化”にも挑んだ。1次産業(農林漁業)、2次産業(製造業)、3次産業(販売業)を一体化する取り組みだ。
餃子は価格競争でうまくいかなかったが、群馬の武井漬物製造と開発した漬物が16年、農林水産大臣賞を受賞した。ピークには年商4000万円ほどの規模になった。
野球選手は「農業に向いている」
だが、居酒屋を整理し、新たな展開を図ろうとした矢先、新型コロナがまん延。新展開の事業は頓挫する。
コロナのせいで飲食店では玉ねぎの需要が減った。それでも現在、年間100トンほどの玉ねぎを取り扱う。
河野さんは、農業が引退したプロ野球選手の新たな受け皿になると考えている。
「体力もあるし、向いていると思いますよ。玉ねぎも機械を使えば栽培に手がかからないけど、初めてやるなら難易度の低い果物がいいね。とくにビニールハウスが使えて、単価が高いのがいいと思いますよ」
今年も間もなく玉ねぎの収穫シーズンがやってくる。初採りの玉ねぎを仏前に供え、妻に報告するつもりだ。
中編では、元野球選手と知られた途端に借地料を相場の20倍に上げられてしまうなど、険しい道のりを経てイチゴ農家として成功した元中日投手・三ツ間卓也さんへのインタビューを行っている。
さらに後編では、引退後、キクラゲ農家として成功する元ソフトバンク・中原大樹さんが語った険しい道のりと、同年入団の柳田悠岐への感謝などについて紹介している。