「亡くなった妻が有機野菜で料理してくれたことを思い出し…」 元巨人投手・河野博文が農家になった理由

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「げんちゃん」として親しまれた河野博文さん

 引退した野球選手の第二の人生は多種あれど、こちらはバットをスキとクワに持ち替えて「農家」への転身だ。しかし相手は思うに任せぬ大自然。金の工面も土地の手当てにも一苦労――。彼らの汗と涙の道のりをノンフィクション・ライターの西所正道氏がたどった。【全中後編の前編】
 
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 時は5月。各地で田植えが行われ、農作業真っ盛りの季節である。思えば近年、スポーツ選手が現役引退後、農業に転身するという報せにしばしば接するようになった。

 元サッカー日本代表・高原直泰さん(44)がコーヒー豆を、バレーボールの中垣内(なかがいち)祐一さん(56)がコメを、スプリンターとして鳴らし、世界陸上にも出場した木村和史さん(31)がシャインマスカットを、それぞれ栽培しているという。

 プロ野球の選手たちはその点、先駆者といえるかもしれない。

 代表として、まずは河野博文さん(62)に登場いただこう。北京原人に似ているからと付けられた「げんちゃん」の呼称のほうがピンとこようか。

引退後は「不動産会社で営業に同行したり、お茶くみしたり」

 高知県出身。明徳(現・明徳義塾)高校から駒澤大学に。日米大学野球選手権大会では1試合で14の三振を奪ってMVPを獲得。後にメジャーリーガーとなってホームラン王に輝いたマーク・マグワイアもその時、三振に切ってとっている。

 1985年から95年まで日本ハムに在籍。その間には最優秀防御率も獲得(88年)している。そして長嶋茂雄監督率いる巨人に移籍した96年、首位と最大11.5も開いていたゲーム差を、夏の猛チャージで追い上げ優勝。いわゆる「メークドラマ」の原動力の一人が、後半戦に6勝3セーブを挙げた河野さんだ。

 千葉ロッテに移籍し、2000年に現役引退。ご多分に漏れずセカンドキャリアなど特に考えておらず、数年は妻の親戚が経営する不動産会社で働いた。

「営業に同行したり、お茶くみしたり。たいしたことしてないです」

 とご本人は笑う。

 その後、日本プロ野球OBクラブが毎月のように催す、ジュニア向けの野球教室のため全国を行脚した。

 そんな時、独立BCリーグの「群馬ダイヤモンドペガサス」から投手コーチ就任の依頼が舞い込んだ。チームの監督を務める、ロッテの元同僚である秦真司さんからの誘いだった。

「コーチをやりたかったんだけど、当時、妻がガンになって手術したばかりでね。これから抗ガン剤治療を始めるタイミングだったから単身赴任は無理かなと。でも相談したら“行ったほうがいいわよ”と背中を押してくれたんです」

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