忘れがたき「交流戦」 清原和博、頭部死球でヘルメットを叩きつけて大激怒! 人生初の“逆転満塁サヨナラ弾”も放つ

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カブレラに向かって「おい、これを見てみいや!」

 死球禍は5月13日の西武戦でも付いて回った。2点を先行された直後の2回1死、清原は西口文也から左前腕尺骨付近に死球を受け、大事を取って3回の守備から交代した。

 事件が起きたのは、その3回だった。立ち上がりから不安定な投球が続いていた巨人の先発・マレンが、4番・カブレラの左脇腹にぶつけてしまう。報復死球と思い込んだカブレラは、声を荒げてマウンドに詰め寄り、たちまち両軍ナインによる乱闘に発展した。

 ベンチ奥でアイシング中の清原も騒ぎを聞きつけ、腕にアイシングしたままの状態でグラウンドへ。一塁付近で複数の選手に羽交い絞めされているカブレラに向かって、「おい、これを見てみいや!」と自らの左腕を指差してアピールした。「オレも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」と言わんばかりのパフォーマンスが功を奏してか、間もなく乱闘も収束した。

 ちなみにこの試合は、西口が9回2死まで無安打無失点を続けながら、清水隆行に右越えソロを浴びるという通算2度目の“ノーノー未遂”が1面トップで大々的に報じられた結果、同じ試合で死球騒動があった事実は、意外に忘れられがちだ。

“速球王”クルーンから放った衝撃弾

 同年限りで巨人を戦力外になった清原は、オリックスに移籍した翌2006年も、交流戦で並々ならぬ存在感を発揮している。

 5月26日の横浜戦では、2回の大阪ドーム初打席で、三浦大輔から史上12人目の4000塁打となる先制ソロ。「去年からこの日を夢見てました。大阪のファンは東京ドームと違って(別の意味で)温かいですね。(4000塁打は)ボテボテの内野安打でなくて良かったです」とユーモラスにコメントした。

 さらに翌27日の横浜戦では、3対6の9回裏1死満塁のチャンスで、当時NPB最速の161キロを誇っていた“速球王”クルーンとの対決が実現。「正直(打席が)回ってきたらヤバイな」と思っていたそうだが、カウント1‐1から外角低め152キロ直球を右に流し打つと、右中間席に飛び込む野球人生初の逆転満塁サヨナラ本塁打となった。

「もう頭パニックや。野球やってて良かった」

 交流戦でも初の快挙に、清原は「もう頭パニックや。野球やってて良かった。プロ21年間で一番うれしいホームランや。自分の力じゃないような気がする。ファンが、チームメイトが、(昨年12月に亡くなった)仰木(彬)さんが打たしてくれたんやと思う」と喜びを爆発させた。

 6月14日には古巣・巨人戦で2点リードの7回に代打として登場。総立ちになった右翼席の巨人ファンから「キ・ヨ・ハ・ラ~ッ!」の大声援を受けた清原は、遊ゴロで一塁を駆け抜けた直後、右翼席に向かってヘルメットを掲げ、エールに応えた。

「ビックリしたし、うれしかった。巨人が負けてる展開でやで。(巨人で)9年間身を削ってやって来て良かった」(清原)。

 同年は6月19日の交流戦最終試合でも巨人と対戦し、4回にグラボースキーの先制3ランを呼び込む中前安打で出塁した清原は、長嶋茂雄(巨人)を抜いて歴代9位(当時)の通算1271得点を達成。そして、これが清原にとって最後の交流戦出場試合となった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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