夫の死後に発覚した“20年不倫”の相手にがく然…「胸が痛んで息ができなくなりそう」 55歳未亡人の苦悩

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いつか子どもたちが巣立ったら…

 真知さんは30歳で長女を、33歳で次女を出産。女3人に囲まれて、孝紀さんはいつもご機嫌だった。ただ、そのころ孝紀さんは「深刻な顔で」ひとつだけ話し合いたいと言ったことがある。

「私は出産後もずっとフルタイムの社員で働くつもりでした。忙しいけど、ふたりで協力すればなんとかなるだろうと思っていた。でも、だんだんどうにもならなくなってきたんですよね。お互いの仕事での目標、子育てについて、家庭について、このとき徹底的に話し合いました。夫は、妻が退職して家事育児をすればいいとは言わなかった。自分が退職することも視野に入れていた。このまま共働きでどこまでいけるか、やってみる方法もあるとも話しました」

 結局、長女が小学校に入るタイミングで、ふたりはそれぞれの職場に働き方を相談したという。今だったらリモートワークもできただろうが、当時はまだむずかしかった。結果、真知さんが時短で働くことになった。それでも周囲には迷惑をかけたと彼女は言う。

「本来なら残業がけっこう多い部署だったんです。でも私は残業できない。だから家でけっこう仕事をしましたね。もちろん残業代もつかないけど、仕事が好きだったし、当時はそれでもありがたいと思っていました。迷惑をかけた分、今は女性たちがもっと自由に働ける職場作りに奔走しています」

 子育ては楽しかった。何でも話し合える夫がいたからだ。いつか子どもたちが巣立ったら、また新婚時代を楽しもうとふたりはいつも話し合っていた。

急逝…憔悴の真知さんのもとを訪れたのは

 それなのに夫はある日突然、ひとりで逝ってしまった。何の予兆もなく、何の言葉も残さずに。いきなり気持ちをぶった切られ、真知さんは葬儀後、入院するほど憔悴しきった。

「2週間入院して退院したその日、妹が家にやってきたんです」

 当時、ふたりの娘たちは大学生だった。長女は大学院に進学が決まり、その日はどうしても大学へ行かなければならないということで、次女が病院に迎えに来てくれた。次女の運転で帰宅し、一息ついたところで次女はアルバイトへと出かけた。

「私もどこが悪いというわけでもなかったから、ひとりで大丈夫と娘たちには言っていました。夫がいなくなったのは事実、それを私が受け止められるかどうかの問題で、私自身が時間という薬を借りて立ち直っていくしかない。それはわかっていましたから」

 夫の気配が消えた家で、彼女はひとりコーヒーをいれた。思わず夫のカップを食器棚から出そうとして、夫はもういないんだと体が感じた。その場に崩れ落ちるほどの衝撃だった。そのとき玄関チャイムが鳴った。

「妹でした。『大丈夫?』と顔を覗き込んできた妹にすがって号泣しました。彼女はじっと私を抱きしめていてくれた。私にはこの子がいる。そう思い、見栄もなにもなく泣き続けました」

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