「寺山修司に殴り込み」「グラスを自分の額に砕けるまで押し付け…」 唐十郎さんの武闘派伝説を看板俳優が明かす

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団員が辞める時にはいつもひと悶着が

 一方、劇団員に対しては、

「ダメ出しで灰皿を投げる蜷川幸雄とは違い、稽古や芝居の後はみんなで風呂に行く。そこで“あそこはやり過ぎだよ”みたいな話が出るけどそれで終わり。その後は飲みに行った」

 それだけ愛情が深かったゆえだろうか、団員が辞める時はいつもひと悶着が。

 看板俳優の一人・小林薫が退団を告げた際、唐は夜中に彼のアパートに行って説得を試みようとしたものの、小林は帰宅しない。で、

〈出刃包丁を下の家から借りてきて座布団の下に入れ、その上にあぐらを組んだ〉(『唐十郎血風録』より)

 結局、朝まで小林は帰ってこなかった。

「薫は唐さんがそれぐらいすると分かっていたんでしょう。僕も辞める時は手紙にその旨を書いて郵送し、遠方へ“逃亡”しました」

「グラスを自分の頭に砕けるまで押し付け…」

「状況劇場」解散後は「唐組」を設立、公演を続ける。一方、小説家としても『佐川君からの手紙』で芥川賞を受賞している。

 その後も武闘はやまず、

「98年、あるパーティーの2次会で、唐さんと同席したんです」

 と苦笑するのは、文芸評論家の高澤秀次氏。

「たまたま真向いに座ると、いきなり唐さんが“てめえこの野郎!”と僕の眉間を殴ってきた。初対面ですよ。後で事情を聞いたら、僕と別の人物を間違えたらしいんですけどね。その後、唐さんは傍のグラスを自分の額に砕けるまで押し付け、“これでおあいこだろ”と血まみれになって出て行った」

 10年ほど前には自宅前で転倒して頭を打ち、以後は療養生活に。

「それでもテント芝居を見に来ていた」(大久保氏)

 亡くなった5月4日は、奇しくも寺山の命日。今頃はあの世で早くも“一戦”交えているところだろうか。

週刊新潮 2024年5月23日号掲載

ワイド特集「さよならの向う側」より

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