伝説の香港スラム街「九龍城寨」はなぜ今も人気なのか かつて居住した日本人の証言

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九龍城寨が背負っていた宿命

 当時は町内会や幼稚園、教会なども存在しており、それなりのコミュニティが形成されていた。アンディ・ラウとドニー・イェンのW主演作「追龍」(2020年日本公開)では70年代の九龍城寨が登場したが、映画全体からするとあくまでも主人公が暮らす無法地帯としての“背景”だった。

「九龍城寨之圍城」ではコミュニティと日常生活がさらに多めに描かれている。“古き良き人情”のニュアンスも強まっているが、いわゆる「下町ならでは」のものではない。さまざまな事情で住み着かざるを得なかった人もいた歴史的背景によるものだ。公式のプレスシートや監督の言葉によれば、それらを総じて「『離不開、留不底(離れられない、留まれない)』な香港の物語」である。

 九龍城寨はそんな人々が集まる“ホーム”であり、そんな宿命を背負った場所でもあった。取り壊しの計画は以前から浮かんでは消え、誰もがどこかで「永遠には続かない」と思っていたのだ。ただし「九龍城寨之圍城」のソイ・チェン監督は、「変わるものもあれば、変わらないものもある」として変化を受け入れる意図を加えた。そのため九龍城寨の描き方や主人公のセリフからは、九龍城寨自体も主役であることが伝わる。

 内部に数えきれないほど入った経験がある60代の香港人男性Aさんは言う。

「『九龍城寨之圍城』がヒットした理由には懐かしむ気持ちがあるのでしょう。九龍城寨に匹敵する場所は世界中にないと思います。さまざまな価値観が息づき、白と黒だけではない曖昧さがある『グレー』の世界。そこにいた人は思い出を再訪したいし、若い人は年長者から聞いた話を確認したい。中国大陸の観客たちも、かつて香港にこれほど奇妙な場所があったとは想像もでないことで、むしろ興味が湧くのでしょう」

「九龍城寨之圍城」を観ていない60代の香港人男性Bさんも近い意見だ。

「伝説的な場所で、恐ろしくも興味深い物語がたくさんあったと想像します。人々は常に好奇心旺盛ですから、奇妙だと思うものについては想像を膨らませるものですよね」

九龍城寨に凝縮されていったもの

 一方で香港人たちは「日本ではなぜ人気があるの?」と同じ疑問を口にする。欧米でも人気だが、関連書籍が多く“基礎知識”が豊富で、ゲームや小説、漫画の舞台になった回数がやけに多い国といえば日本だ。

 九龍城寨が日本で注目され始めたのは、写真集『九龍城砦』(ペヨトル工房)が出版された80年代後半あたりから。97年の香港返還前後には写真集『最期の九龍城砦』(新風舎)の初版や、内部を舞台にしたゲーム「クーロンズ・ゲート」が世に出た。実物大の再現スペースがあるゲームセンター「ウェアハウス川崎店 電脳九龍城」(2019年閉店)は05年のオープンだ。また一昨年には歴史本の決定版『九龍城寨の歴史』(みすず書房)も出版されるなど、息の長い人気を誇っている。

 吉田さんに人気の理由を尋ねると、最近入手したという昭和42年発行のガイドブックを取り出した。

「この本の前書きで『東洋の真珠あるいは東洋の屑籠』と書かれているように、日本人にとって昔の香港はそれ自体が神秘的でカオスでした。ドラマ『Gメン75』の香港編や60年代の映画にしても、容疑者が高跳びする場所といえば香港。今の九龍城寨に対するイメージは、かつて香港自体に抱いていたイメージに近いですよね。香港からそういう部分がどんどんなくなっていくにつれ、九龍城寨にイメージとして凝縮され、やがて“ファンタジー”になったのだと思います」

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