31歳で現役引退、時給850円で洋菓子作りの修業…元広島投手(51)が代官山でパティシエとしてカフェオーナーになるまで

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清原和博の突然の来店が起爆剤に

 そして、2011年4月、東京・代官山に「2-3Cafe」をオープンした。「2-3」とはもちろん、野球のストライク、ボールカウントである。現在はアメリカに倣いボールカウントを先に呼ぶスタイルが定着し「3-2」と呼ばれているが、当時は「2-3」表記が一般的だった。ボールカウント・ツースリー。フルカウント、次の1球で勝負が決まる。

「まずは、“数字を入れた店名にしたい”と考えていました。ツースリーというのは、ピッチャーからすれば、“追い詰められている”というよりは、“バッターを追い込んでいる”という感覚になります。僕のようなコントロールが悪いピッチャーなら、“ツースリーなら、多少のボール球でも振ってもらえる”って、気持ちの余裕ができます。そんな思いもありつつ、《2-3Cafe》と名づけました。……まぁ、後づけの理由ですけど(笑)」

 オープンから2年ほど経過した頃のことだった。ある日、身体の大きな男性が店にやってきた。清原和博である。扉を開ける前から、「あっ、清原さんだ」と小林は気づいた。

「本当に何の前触れもなく、清原さんがふらっとお店にやってきました。それですぐにあいさつしました。すると、回りのお客さんたちの様子がおかしい。それぞれが手元に小さなカメラを持っていて、その後すぐに大きなカメラが現れました。テレビのドッキリ企画だったんです(笑)」

 小林の経歴を知った制作者が、「何の前触れもなく清原が店にやってきたら……」というドッキリ企画を小林に試みたのだという。

「この番組のおかげで、お客さんがかなり増えたんです。また、うちのオープン後、すぐ近くに蔦屋書店が誕生したことも大きかった。それまでの売り上げを1だとしたら、蔦屋のおかげで4ぐらいになり、清原さんのおかげで8、9、10くらいになりました。それまでは、自分が《元プロ野球選手》だということは積極的に口にしていなかったけど、テレビで取り上げられてからは、野球ファンの方もいらしてくれるようになって」

 オープン以来、すでに13年のときが流れた。コロナ禍による苦しい時期を乗り越え、今は「世界一のチーズケーキ」と銘打っているベイクドチーズケーキを主力商品としてガトーショコラやシフォンケーキをすべて一人で作っている。すでに50代を迎え、新たな思いも芽生えつつある。

「仕入れから仕込みから接客まで、何から何まで一人でやってきました。今まで元日以外はまったく休みなく働いてきました。でも、“これからはチーズケーキとドリンクだけにしたい”という思いもあります。いつも週末は忙しいんですけど、週明けの月曜日にはかなり疲れが残るようになって(苦笑)。だから、今後は少しは休みが取れるようにしたいんですけどね」

 そう言った後、小林は自身の発言をすぐに撤回した。

「でも、休みがないことには何も抵抗がないんです。カープの二軍もまったく休みがなく猛練習の日々でしたから(笑)。たまに、“ホントにオレはプロ野球選手だったのかな?”って思うことがあるんですけど、野球で学んだ《忍耐》は、今でも自分の中に息づいているのかもしれないですね」

 プロ野球選手として11年。パティシエとして13年。すでに現在の暮らしの方が長くなった。第二の人生を堅実に歩んでいる小林が丹精込めて作る「世界一のチーズケーキ」は、本当に美味しい――。

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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