【光る君へ】自滅した伊周・隆家兄弟のその後 陰陽師・安倍晴明が見抜いていた二人の性質とは

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陰陽師・安倍晴明の予言

 ついに政権トップの座についた藤原道長(柄本佑)だが、伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)の兄弟がライバルとして立ちはだかっていた。ところが、二人は花山法皇に矢を射かけてしまい、自滅する。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第20回「望みの先に」(5月19日放送)。

 天皇の権威を重んじる一条天皇(塩野瑛久)は、二人が寵愛する中宮定子(高畑充希)の兄弟であろうと、法皇を襲った事実は許しがたい。そこにまた罪状が加わった。兄弟が一条天皇の母である東三条院詮子(吉田羊)と道長を呪詛していたというのである。呪詛に関しては、ほんとうに兄弟の仕業であったのかわからない。が、ともかく彼らが行ったことにされてしまった。

 第20回で道長は、伊周と隆家が自分たちを呪詛したという話が信じられない。そもそも二人は道長の甥で、子供のころには屋敷の庭でよく遊んでやった。そんな彼らが自分を呪詛したりするものか、というのだ。陰謀渦巻く平安王朝で並ぶ者のない権力を得た人物にしては、ずいぶん人がよく描かれているが、ともかく、道長は陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に相談した。

 すると晴明は、「そのようなことは、どうでもよい」という。道長の世になって、だれも道長に敵わなくなるのであって、そのことが「大事」だという見解である。そのうえで、道長から「この先、どうなるのか?」と聞かれた晴明は答えた。「隆家様はいずれ、あなた様の強いお力となりまする」。一方、伊周については「あなた様次第にございます」という返答だった。

 この晴明の「予言」は、なにを意味しているのだろうか。

1年で許された伊周と隆家

 長徳2年(996)4月24日の除目(大臣以外の官職を任命する朝廷の儀式)で、右大臣だった伊周は太宰権帥、中納言だった隆家は出雲権守に降格になり、配流されることに決まった。ところが、彼らは定子の二条邸に立てこもり、検非違使の捜索を受ける。とりわけ伊周が醜い抵抗をし、定子は兄をかばいながらも、ついにみずから出家してしまう。その様子はドラマでも描かれた。

 その後、隆家は捕らえられたが、伊周は逃亡。数日して出家姿で出頭するも、太宰府に向かう途中、病気と称して播磨(兵庫県南西部)に留め置かれ、そこから密かに都に戻って二条邸にかくまわれた。挙げ句、ようやく太宰府に送られるという、情けない顛末となった。

 こうして、道長の長兄で、ドラマでは井浦新が演じた道隆を祖とする中関白家は、すっかり没落した。だが、一条天皇は、伊周ら兄弟を見せしめとして配流したものの、寵愛する定子の兄弟でもあり、厳罰に処する気はなかったようだ。翌長徳3年(997)3月25日、病気がなかなか治らない詮子の快癒を目的に、一条天皇の差配で大規模な恩赦が行われた。そして4月5日、公卿の会議をへて、伊周と隆家は赦免のうえ召喚されることが決まったのである。

 こうしたことは、秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』に書き残されている。隆家は早速、4月21日には出雲から都に戻っている。それに当たっては、同じ『小右記』によれば、一条天皇は当初の予定を変更してわざわざ出雲まで使いを差し向け、隆家の帰京の供をさせたという。一方の伊周だが、『栄花物語』には、定子から使いが送られたと書かれている。

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