フジテレビ・バラエティ番組の収録で転落死したロックスター 香港の墓が繰り返し荒らされる事情
非業の死から約30年、アジアを代表するロックスターがまたしても悲劇に見舞われた。1993年、フジテレビのスタジオでバラエティ番組のセットから転落し、6日後に搬送先の病院で亡くなった香港のロックバンド、BEYOND(ビヨンド)の黄家駒(ウォン・カークイ)さん。安眠の地である香港の墓は現在もファンの聖地だが、先日、心無い輩に激しく荒らされてしまったのだ。
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アジアに衝撃をもたらした重大事故
1993年6月24日未明、当時は東京・河田町にあったフジテレビの第4スタジオ。日本のテレビ業界が忘れてはならない悲惨な事故は、人気バラエティ番組「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」の収録現場で起こった。
収録されていたコーナーは、10人ほどの出演者たちがお互いを仮設プールに落とし合うというもの。高さ2.27メートルのセットの上ではバラエティ番組らしいもみ合いが始まった。当時の報道によると事故はあっという間の出来事だったという。
「セットの前には仮設プールが置かれ、その中に落ちれば問題なかった。が、演技が過熱。逆側に体が傾いて、運悪く2人が反対側に転落してしまった」(フジ関係者の証言、「週刊新潮」93年26号)
転落したのはウッチャンナンチャンの内村光良(当時28)とカークイさん(同31)。内村は全治二週間のケガを負い、床で後頭部を強打したカークイさんは意識不明のまま東京女子医科大学病院に救急搬送された。だがカークイさんの意識は戻らず、6日後の30日午後には頭蓋骨骨折と脳挫傷などで死去した。
フジテレビは同日夜に緊急会見を開き、翌日に番組の打ち切りを正式決定する。ウッチャンナンチャンの2人が号泣した謝罪会見は、カークイさんの遺体が香港に戻った7月2日に開かれた。
事故当時は日本に対する複雑な感情も
日本で認知度が上がり始めていた当時のBEYONDは、香港や中国大陸などですでに大人気のロックバンドだった。結成は1983年、大手レコード会社との契約は80年代後半。海外曲のカバーやバラードがヒットする香港芸能界にオリジナル曲とバンドサウンドで乗り込んだ彼らは、すぐさま若いファンたちの熱烈な支持を得た。
大人気バンドになっても、聡明だったカークイさんは香港芸能界に対する失望を隠さなかった。亡くなる数カ月前には「香港には音楽シーンがない」とも発言している。日本での活動を目指した理由は、バンドとしてさらなる発展を目指したがゆえだ。香港芸能界を良く知る人物はこう話す。
「日本のレコード会社と契約しての日本進出を、香港の人々はとても誇らしく思っていました。それだけに、カークイさんの事故は日本に対する複雑な感情を招いたのです。音楽と無関係のコントで命を落としたのはまったく無駄だと感じたファンが多かった。過激なファンはテレビ局の不注意を非難しました」
カークイさんの葬儀は7月4日、香港殯儀館で執り行われた。台湾、中国大陸からも大勢のファンが駆け付け、日本からは親交のあったミュージシャン、ファンキー末吉さんらが参列した。
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