「言葉は悪いが、俳優業は嘘をつく仕事」…石橋凌は“まったく違う”2つの仕事をいかに両立させているのか
遺志を継げないかと俳優業に専念
だが、石橋が見せた可能性を、演技の世界が放っておくこともなく、88年にはNHK大河ドラマ「武田信玄」に織田信長役で出演。様式美なども大きく異なる時代劇に「戸惑いはもちろんあった」というが、「自分がやるのならリアルにやらせてほしい」と、自身なりのリアルな武将像を求めて表現した。「今、見るとやはり表現力も当時は稚拙だった」と苦笑する。
ただ「ア・ホーマンス」の現場で松田に叩き込まれた映画における表現の基礎として「映ったときに、医者なら医者、やくざならやくざ、そのものでいなくてはいけない」という教えを心に刻み、多くの役を演じてきた。
松田は89年、40歳で早世したが、このとき石橋は33歳。行き詰まっていた自分をよみがえらせてくれた恩人として、「自分なりのやり方で優作さんの遺志を継げないか」と考え、俳優業に専念するため、音楽活動を34歳で休止した。
松田が生前よく言っていた、米国との合作映画で日本人を演じるのが日本人でないこと、米国の映画俳優組合「SAG」に日本人俳優が入れていないこと、露骨ではないけれども差別・偏見と闘うこと――などを胸に役者業に邁進。東映ビデオが米ハリウッドと組んで作ったシリーズ「Vアメリカ」の作品に参加するなどの経験を積み、95年にSAGの会員となった。松田には線香をあげて、そのことを報告したという。
カメレオンが頭の上に…
その後、ラブストーリーや社会派ドラマ、あらゆるジャンルに臨んだ石橋。
「押しなべて言えば、テレビより映画の方がいい」というものの、映画であろうがテレビドラマであろうが、その存在感を十二分に発揮してきた。
映像から発せられる部分では笑いとは遠い役柄も多いが、2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」ではこんな裏話もあった。
演じた長崎奉行・朝比奈昌広はカメレオンを飼っており、坂本龍馬(福山雅治)と謁見する際も、肩にカメレオンを抱きかかえていた。
「セリフをしゃべりながら、抱きかかえていたんですけどね。やり取りしているうちに、どこかに行ったなあとは思っていて」
龍馬のセリフが終わり、カットがかかった瞬間、福山をはじめ、出演者、スタッフ一同が大爆笑。なんとカメレオンがかつらの上に乗っており、「丁髷が2本あるみたいになっていた。かつらの中は鉄板なので、俺は全く気付かなかったけど…」と、今思い出しても笑える出来事だったという。
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