人気芸人が憧れるタレント「中山秀征」、芸歴42年を支えた「志村けん」の言葉とは
今田耕司との和解
「殿様のフェロモン」は1993年に放送が始まった“めちゃイケ”の前身とも評される「お色気バラエティ番組」で、MCを既に売れっ子だった中山氏と、初のピンでの起用となった今田耕司氏が担当した。
実は、この2人は長年にわたり“不仲”が語られていたが、そのきっかけがこの番組だった。
「一言で言えば、スタイルの違いからくる行き違いだったんだと思います。僕が心掛けていたのは、なるべく出演者の全員に見せ場を作ること。そのために、いかに相手の話を“受け”るかを念頭に置いていました。一方の今田さんは“ダウンタウン一派”として笑いを追求する言わば“攻め”のスタイルだった」(中山氏)
書籍の中でも披露されているエピソードとして、酒席での出来事がある。番組が始まって間もない頃の打ち上げでのこと、中山氏が仲良くなろうと今田氏の酒を注ごうとすると、「結構です」と断られたのだそう。
「その時はたまたま必要なかったのかな、と時間を置いて再びお酒をすすめたのですが、やっぱり“結構です”とグラスに口すらつけない。酒が飲めないのではなく、“俺の酒が飲めない”という意味なのだと理解しました(笑)」(中山氏)
その後も、局ですれ違えば挨拶はするものの、なんとなく微妙な関係性が続いた2人。和解に至ったのは番組の終了から15年近くが経ったある日のことだった。事務所の後輩であるザブングルの松尾陽介さんを介して、今田氏から飲みの誘いを受けたのだ。
その席で、こう言われたのだという。
「あの時、ヒデちゃんは、みんなに振って、誰かがスベっても拾って……。正直、俺は、『なんで拾わなアカンねん』と思っていた。でも、俺は今、テレビで“それ”をやっている……」
そう素直に口にできる真摯な姿勢に、中山氏は頭の上がらない思いだったという。
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