【袴田事件】巖さんに死刑求刑 再審開始決定で初めて泣いた姉・ひで子さんが帰宅後、巖さんに掛けた一言

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どうして検察は会見しないのか

 前後するが、弁護士会館での会見の質疑で「こういう時、弁護士ばかりが会見していますけど、どうして検察は記者会見に出てこないんですか?」と問題提起した大柄な男性がいた。

 この男性は市川次郎さん(57)。プロボクシングヘビー級の草分けで、引退後、「日本プロボクシング協会 袴田巖支援委員会」のもと熱心に支援活動をしてきた。

 どんな時でも検察庁は次席検事のコメントを出すだけだ。今回も山元裕史・東京高検次席の「検察官の主張が認められなかったことは遺憾。決定の内容を精査し、適切に対処したい」とコメントを出したけだ。

「公益の代表者」を自認する検察は、なぜこんな時ですら表に出で会見せず、紙切れ1枚にもならない短いコメントで済ませるのか。市川さんの質問は、マスコミが「当然」と思っていることに対して、改めて重要な問題提起をしてくれたのだ。

喜びは見せなかった巖さん

 16日、浜松市にいるひで子さんに電話し、巖さんとのやりとりを尋ねた。

「『東京でいいことあったんだよ』と伝えましたけどね。巖はほとんど反応がなく、ポカンとしていて喜びもないような顔で何も言わなかったですよ。それでも新聞の一面に袴田事件が出ているからそれをじっと見ました。自分のことが書いてあるということだけはわかっているんですけど、それについて何か言ったりはしませんし、私から感想を訊いたりもしませんでした」

 こんなメルクマールな時でも、マスコミなど周囲が巖さんの反応を期待しているからといって、それに合わせて弟に演出させたり、発言を求めたりは決してしない。

 その理由について、「47年間も監獄で不自由だったのだから、巖の好きなように生きさせてやりたい」と語る。

 これこそが「世界一の姉」たる所以である。そして改めて再審決定を受けて、初めて流した涙のことを問うてみた。

「2014年の村山さんの決定の時はね、支援者の皆さんみんなが泣いていたけど、私はもう嬉しくて嬉しくて、ずっとニコニコしていましたよ。巖が出てきたのは決定が出た少し後だったから、思わぬ巖の釈放で涙どころではなかった、というわけではないんですよ。でも今回は泣いてしまいましたね。あれからも10年近く経ったから、私も歳を取ってしまって涙腺が緩くなってしまったんですよ。きっと」と、電話の向こうでコロコロと笑いながら語ってくれた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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