藤井八冠が豊島九段に敗れる 「横歩取り」で慎重な展開の末… 相手の持ち駒の多さが読み違えを誘因?

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 5月18、19日の両日、大分県別府市の「割烹旅館もみや」で行われた将棋の名人戦七番勝負(主催・毎日新聞社、朝日新聞社)の第4局は、カド番だった挑戦者の豊島将之九段(34)が藤井聡太八冠(21)に勝利し、5年ぶりの名人奪還へ希望をつないだ。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

別府では71年ぶりの名人戦

 5月17日の前夜祭で藤井は「71年ぶりの別府での名人戦ということで、多くの方に楽しんでもらえると思う」と挨拶した。別府市は日本有数の温泉地ゆえ豪華な旅館が多数あり、名人戦は何度も行われたかと思いきや、なんと1953年の第12期以来とのことだ。

 1953年5月、当時30歳だったのちの十五世名人・大山康晴名人(1923~1992)に35歳の升田幸三八段(1918~1991)が挑戦した第3局は、今回の名人戦の前夜祭会場となった「杉乃井ホテル」で開かれた。この時は升田八段が勝ったが、結局4勝1敗で大山名人が防衛。升田八段は4年後の1957年に大山名人から名人位を奪取し、世襲制から実力制に移行後の第四代名人となり、王将と九段と合わせて当時の三冠全冠を制覇した(九段はタイトル名)。

 さて、先手は豊島。初手に角道を開けると、3手目に1筋の端歩を突く意外な一手を見せた。先手なのにあえて後手になるように手を遅らせた形だ。これで後手の「横歩取り」を誘う。

 豊島から角を交換し、その角を25手目に藤井陣の「8三」に打ち込んだ。その角を捨てて奪った金を「5五」に据えて、横歩を取って「8三」に角を打たれて「7四」から「4四」に動いていた藤井の飛車を狙う。一方、藤井は飛車と銀の駒損交換を敢行し、「4七」に馬を成り込ませ、豊島玉を脅かす。最初から大ゴマを切り合う激しい空中戦だった。

横歩取りで慎重に進む

 横歩取りといえば、「内藤流空中戦法」で知られる内藤國雄九段(84)と「青野流」の青野照市九段(71)が思い出される。青野九段は70代で唯一の現役棋士である。それまでの横歩取りは、先手が横歩取りを敢行した時、飛車を「3六」に引き、後手に横歩を取らせないようにして同形になることを阻止していたが、あえて飛車が引かずに「5八」に玉を上げて戦うのが「青野流」だ。斬新な戦法は勝率が高く、人気もあった。青野九段は大山十五世名人や中原誠十六世名人(76)らと同じ時代に活躍し、名人戦順位戦のA級に通算11期も君臨した。

 横歩取りはいきなり空中戦になりやすく、飛車が死にやすい。交換した角を先に自陣に打ち込まれやしないか、角での王手飛車取りから自陣への成り込みを狙われないか……。失敗すれば序盤からあっという間に負けてしまう。

 今回の対局では、互いに最下段に据えられたままの8筋の桂馬と桂馬の間に歩1枚ないという局面が生まれた。また、玉は居玉で全く囲われていない。角はどちらからでも交換できる状態で、飛車は浮いている。要はあちこちが「スカスカ状態」で、早々と「空中戦」だった。それだけに両雄は慎重になり、極めて遅い展開だった。1日目は39手目の豊島の手番で封じられた。

 ABEMAで解説した藤井猛九段(53)は「振り飛車をやろうとした相手が飛車を振ることを阻止できないのと同様、横歩取りをしようとした相手の横歩取りを止めることができない戦法。端歩を突くのは、横歩取りは後手番の勝率がいいなどとされ、あえて後手になるような指し方。『1六歩』なら王手飛車の角打ちを防ぐ意味もある」と説明した。

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