宮藤官九郎ドラマ「季節のない街」が“一味違う”ワケ

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 宮藤官九郎ドラマ「季節のない街」を観るならば、ひとつご提案。まず山本周五郎の原作を読んだほうがいい。黒澤明映画「どですかでん」も観たほうがいい。関連はないが、根底に通ずるものがある泉谷しげるの「春夏秋冬」も聴いておけば準備万端。地球温暖化とは異なる「季節のない」感を深く味わえる(あ、三つだ)。

「いつ」とも「どこ」とも分からないが、震災から12年たった仮設住宅が舞台。復興支援が打ち切られ、取り壊しが決まっているが、行く当てのない住民が残ってコミュニティーが形成されている。確かに貧しいが困っているとは限らず。それぞれがつつましく、またはたくましく生活する姿を描く。

 日本のドラマは「清く正しく、お行儀よく見目麗しく」が通例というか因習になりつつあって、無味無臭のさながら人形劇が増えた。ニオイを感じさせる作品がほとんどない中で、このドラマにはちゃんとニオイがある。何度も繰り返して使っている植物油のニオイ、去勢していない雄猫の尿臭、しなびたキャベツや白菜が発する青臭さ、一晩では分解しきれない安酒の酒臭さ、情欲と諦観の爛れた香り。嗅覚を錯覚させるのはキャスティングの妙であり、役者陣の力量があってこそ。小宮孝泰に松浦祐也、奥野瑛太ら住民たちも、伊藤修子・川面千晶・上田遥ら井戸端会議の面々も、街の背景としてしっかり機能。

 で、主役は池松壮亮。通称・半助は元漁師の家の次男坊。家族をナニ(劇中では震災をそう呼ぶ)で失い、この街に流れ着いたテイだが、実は密命を帯びている。いかにも背景が黒そうな三木本(鶴見辰吾)に、住民の情報を報告し、報酬を受け取っているのだ(主に電子マネーか大量の野菜で)。それもこれも、住民の立ち退きを円滑に進めるためで、弱みを握って強制的に追い出すもくろみだ。三木本はおそらく下請けで、発注元は行政としか思えない世知辛さ。半助は暮らすうちにそれぞれの事情を知り、興味も情も湧く。報告することにはうしろめたさも覚え始める。

 ふがいない兄を溺愛する母(坂井真紀)にやるせない思いを抱くタツヤ(仲野太賀)や酒屋のオカベ(渡辺大知)は、不慣れな半助を快く受け入れてくれた。見えない電車を運転して街中を走り回る六ちゃん(濱田岳)は、揚げ物屋を営む母(片桐はいり)を心配している。いや、将来を案じて仏壇に祈り倒すのは母なのだが、その鬼気迫る一心不乱な様子を心配しているのが六ちゃんだ。

 とぼけた夫婦二組の話は下品に説明すればスワッピングだが、原作通り「牧歌調」という秀逸なタイトルだ。

 決して清貧とは言いきれない、後ろ暗い人や図太い人もそこかしこにいる。ここには欲望を肯定する大人の寛容がある。そこが好き。

 基本、原作の人間模様を生かしつつ、令和の事象や空気感とうまく縫合。胸を締め付けられる悲劇はさらっと回避。原作にある唾棄すべき業のエピソードは、盤石の悪役・岩松了と三浦透子が魅せてくれるはずだ。

 結末のない周五郎短編集を官九郎脚本はどう締めくくるか、楽しみにしている。

吉田 潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビドラマはほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2024年5月23日号掲載

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