「海外のカジノ業者の利益になるだけ」 世界的建築家・山本理顕が明かした「大阪万博批判発言」の真意 「安藤忠雄さんは逃げてはいけない」
すべての混乱の発端
藤本さんの言動を見ていると、プロデューサーの責任について、万博協会側の見解と藤本さん側の理解が、大きく乖離している可能性もあるように思えます。
これまで藤本さんの言ってきたことと、事実関係を整理すると、おおよそのことが見えてきます。
まず19年12月に、建築家の安藤忠雄さんをはじめとする13人のシニア・アドバイザーが選ばれています。特に安藤さんの登場によって、それまであまり盛り上がっていなかった大阪万博が、にわかに注目を集めるようになります。
安藤さんは同年10月に万博のロゴ選定委員会の座長になっており、翌年1月には「万博の桜2025」実行委員長に就任。次々にインパクトのある提案を打ち出しました。
中でも最も大きなインパクトがあったのが、プロデューサーに指名された藤本さんによる「木造リング」だった。それはあまりにも唐突な提案でした。すべての混乱はここから始まったといっていいと思います。
キーコンセプトとはかけ離れた計画
そのリングを中心にした万博会場の計画は、もともとの「非中心・離散」というキーコンセプトとは、全くかけ離れたものでした。
以前の計画は、夢洲(ゆめしま)という敷地の軟弱地盤を意識した、小さな島の集合体のような会場だったのです。海外パビリオンと国内企業、政府館の差もなく、中心と周縁というヒエラルキーもない、水面と陸地が混ざり合ったかのような会場計画は、建築家・豊田啓介氏の提案でした。
それまでの万博とは全く異なる自由な計画は、アゼルバイジャンのバクーやロシアのエカテリンブルグを破って、大阪が選ばれた要因の一つだったはずです。
そうした経緯を無視して、藤本さんは「木造リング」で会場を囲い込む計画を提案したのです。会場の中心には万博協会によるテーマ館と森があり、海外パビリオンがそれらを囲むような形で建てられます。
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