マスコミとの関係が険悪に…「プロ野球」名将はなぜ取材を拒否したのか?

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「近鉄危ウシ」

 今季開幕直後、阪神・岡田彰布監督が「序盤の苦戦は想定内」というニュアンスで口にしたコメントが「想定外」と報じられたことをきっかけに、「マスコミ取材拒否」が約20日間の長きにわたったことが話題になった。実は、今回の岡田監督に限らず、指揮官の“取材拒否事件”は過去に何度もあった。【久保田龍雄/ライター】

 開幕直後から黒星続きの苦境のなか、マスコミにあることないこと報じられ、貝になったのが、近鉄時代の仰木彬監督である。

 1990年、リーグ2連覇を狙った近鉄は4月8日の開幕戦、ダイエー戦でエース・阿波野秀幸が6回途中8失点KOされながらも、9対8の逆転勝ちで白星スタートを切ったが、2戦目以降、投手陣の調整遅れなどで、まさかの9連敗を喫する。

 この間、「近鉄危ウシ」「鈍牛6連敗」「ノンストップ近鉄8連敗」など、揶揄するような見出しの報道が相次ぎ、「何が起きた 仰木近鉄」の緊急連載を開始するスポーツ紙も登場。さらには4月にもかかわらず、仰木監督の進退問題なども一部で取り沙汰される騒ぎになった。

 そして、近鉄が4月24日の日本ハム戦で6対1と快勝し、ようやく連敗を止めた試合後、仰木監督は取材を拒否する。報道陣は16日ぶり勝利のコメントを取ろうと、血まなこになって移動のバスまで追いかけたが、「(もみくちゃ状態で)危ないじゃないか」と口にしたのが唯一の指揮官の肉声だった。

「そりゃあ、腹が立った。どうしてやろうかと思ったよ」

 翌25日も仰木監督は試合前の取材に応じないばかりか、試合では日本ハム・柴田保光にノーヒットノーランを食ってしまう。こんな完敗では、「また取材拒否か」と記者たちが頭を抱えていると、意外にも仰木監督は取材に応じ、「タイミングの合う打者がうちに1人もいなかった。力負けです。(柴田は)シュート、ストレート系の球にも力がありましたし……」と敗因をきちんと説明した。

 なぜか? その理由を、当時近鉄番だったサンケイスポーツ・上田雅昭記者が「阪神よもやま話 元虎番の独り言」(2023年7月21日付)の中で明らかにしているので、一部を引用してみたい。

「まあ、連敗が止まった日は、いくらお前でも、俺がしゃべらなくても原稿は書けるやろう。でも、ノーヒットノーランのあとは、俺がしゃべらないと、力不足のお前たちが原稿書けなくなると思ってな」

 一連の報道に対し、「そりゃあ、腹が立った。どうしてやろうかと思ったよ」と内心穏やかならざる思いを抱きながらも、最も効果的なタイミングで助け舟を出すという粋な計らいは、まさに“仰木流人心掌握術”と呼ぶにふさわしいものだった。

 チームも翌日から阿波野のシーズン初勝利、ドラ1ルーキー・野茂英雄のプロ初勝利などで5連勝と調子を取り戻した。

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