今秋、悠仁さまは成人に…改めて浮き彫りになる紀子さまと秩父宮妃勢津子さまとの共通点
「下に見ていらっしゃる気がする」
2006年9月に、41年ぶりの男性皇族となる悠仁さまを出産された秋篠宮妃紀子さま。雅子皇后が既に長期療養に入られていて、第1皇男子(天皇の長男)のお世継ぎは望めなくなっていたことから、紀子さまにとっては将来の“天皇の母”の座が保障された年となった。
それから18年が経ち、悠仁さまは今秋、成人(成年)となって大人の仲間入りをされる。子育てが転機を迎える紀子さまにとりこの期間はどんなものだったのか、振り返ってみる。
「元号が変わる遥(はる)か前のことですが、『紀子さまは(天皇ご一家以外の皇族を)下に見ていらっしゃる気がする』と漏らされるのを耳にしたことがあります」
皇室関係者の内輪の発言をこう打ち明けるのは、ある宮内庁関係者だ。
「当時の天皇ご一家」とは、退位される前の上皇上皇后両陛下、今の天皇皇后両陛下と長女の愛子さま、秋篠宮ご一家のこと。皇族には内廷皇族と内廷外皇族がおり、内廷は天皇家、内廷外はその他の宮家を意味していて、予算も前者は潤沢な内廷費、後者は皇族費が手当される。
ただ当時、秋篠宮家は天皇の次男が代表(当主)の筆頭宮家という立場。宮内庁が毎正月に公表する天皇ご一家の写真にも映り、前出の宮内庁関係者は「紀子さまがある種の優越感のようなものを持たれたとしても、無理はないのでは」と推察する。
皇室の環境にご適合
悠仁さまが誕生された06年の4月27日、腹帯を初めて着けて安産を願う皇室の伝統行事「内着帯」が行われ、行事を済まされた紀子さまはその足で御所に当時の天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)を訪ねて行事の無事終了を報告し、白い帯を贈った美智子上皇后にお礼を述べられた。内着帯は一般家庭の岩田帯と同じく犬が安産傾向なのにあやかり、妊娠5カ月目の戌の日にするものだ。
「経験を積み、(皇族として役割の)一つ一つを務めてまいりました」
天皇陛下が雅子皇后の「キャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べられた人格否定発言があった2004年、紀子さまは記者会見で人格否定発言に関する記者団の質問に、こう回答された。
「紀子さまのご発言は、一般家庭から皇室入りした同じ境遇の雅子皇后がお世継ぎ問題のプレッシャーなどが重なって体調を崩されたことを気遣われる一方、皇室の環境にアジャスト(適合)された自負や自信が、垣間見えたように感じられたというのが正直なところです」
ある宮内庁OBは、こう本音を吐露する。
秋篠宮さまは皇位継承順位筆頭の皇嗣となられた。皇嗣は歴史上の正式な呼称ではなく、天皇の息子ではないものの皇太子と呼ばれたり、東宮や皇太弟と称されたりしてきた地位だ。天皇家の次男、そして天皇の長弟。秋篠宮さまと似た境遇にあった中には、直近で上皇陛下の長弟の常陸宮さま、昭和天皇の長弟の秩父宮さまがいる。それぞれ昭和天皇と香淳皇后の次男、大正天皇と貞明皇后の次男である。
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