“元祖モバイルQB”マイケル・ヴィックの波乱万丈 「犬をつるして処刑」の衝撃からプロボウル復活まで(小林信也)

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 アメリカン・フットボールでは強肩のパサーで、しかも飛び抜けた俊足、投げて走れるマルチな司令塔を“モバイルQB(クォーターバック)”と呼ぶ。その先駆けが、アトランタ・ファルコンズで一世を風靡したマイケル・ヴィックだ。

 1980年にヴァージニア州の貧しい町で生まれたヴィックは、フットボール・コーチだった父の影響でアメフトを始めた。自宅はスラム街に近い。犯罪と隣り合わせの少年時代、アメフトに希望を見いだしたおかげでヴィックは悪童たちの仲間に入らずにすんだという。

 高校時代から才能を発揮し、高校通算4846ヤードゲイン、43タッチダウンの記録を作った。大学2年生の時、アーリーエントリーでプロ入りを宣言。たちまちドラフトの目玉になり、2001年NFLドラフト全体1位でファルコンズの指名を受けた。これはアフリカ系アメリカ人QBとしては初めての出来事だった。

 1年目は控えに甘んじ、出場してもパス成功率44.2%にとどまるなど、プロの壁は厚かった。しかし、40ヤードを4秒3で駆け抜ける「NFL史上最速」の俊足はファンを瞠目させた。

 2年目の02年、先発QBの座を奪うとヴィックは潜在能力を発揮し始めた。パスで2936ヤードを獲得、ランでも777ヤード、ランTD(タッチダウン)を8回記録。ファルコンズ・ファンはヴィックに熱狂し、それまで空席も目立ったスタジアムを常に満員の観衆が埋め尽くすようになった。

 3年目はケガで活躍できなかったが、4年目と6年目に1000ヤード前後のランを稼ぎ、チームの勝利に貢献した。

1000ヤードラッシャー

 アメフトで「走り屋」といえばRB(ランニングバック)の役割だ。年間1000ヤードゲインを達成すると「1000ヤードラッシャー」と呼ばれ、一流の証しとなる。ところが、QBでありながらヴィックは06年に1039ヤードを記録した。シーズン1000ヤードランを達成したQBはNFL史上、ヴィックが初めてだ。速さだけでなく、華麗なステップワークで、「NFLのマイケル・ジョーダン」とさえ呼ばれた。

 QBがボールを持って走るのは、相手にサックされそうになり、やむなく走る場合が多かった。司令塔の選択は通常パスかランプレーの二者択一。ところがヴィックほどの俊足QBが登場すると、QBが自発的にランを選ぶオプションが加わった。相手にとっては三つ目の可能性を警戒する必要が生じる。当時の映像を見ると、ヴィックがRBにボールを渡したと見せかけ、相手が一斉にRBを潰しにかかる次の瞬間、実はボールを持っているヴィックが逆方向に走り、相手の意表を突いてTDを決める痛快なプレーがある。ヴィックはRB以上に速く、鋭い。

「光速の移動砲台」と形容され、NFL史上に残るはずだったスーパースターの人生は07年、闘犬賭博を主催した疑惑で暗転する。

 いとこが違法ハーブ密売容疑で逮捕されたのが発端だった。ヴィック名義の邸宅を家宅捜索すると、54匹もの傷ついた犬が室内にいた。闘犬賭博のために飼われた犬たちとみられ、ひどいケガを負っていた。

「家を親戚に貸しただけで、自分は何もしていない」

 当初は否認していたヴィックもやがて関与を認め、禁錮刑1年11カ月を宣告された。NFLからは無期限出場停止処分を受けた。

 アメリカでは動物虐待はどの州でも重罪に指定されている。闘犬も禁止だ。しかし、アンダーグラウンドの世界で、チャンピオン同士の戦いには1試合10万ドルもの賭け金が動くという。調べが進むと、ファンがひどく失望する事実が伝えられた。英BBCニュース・オンラインは次のように書いている。

〈ヴィックを含む3人の男は、訓練で見込みのなさそうだった数匹の犬の首をつるし、溺れさせ、感電させ、あるいは地面にたたきつけて「処刑した」〉

 英雄ヴィックは一転して厳しい非難を浴びる敵役となった。

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