16歳で「女子アナ」目指し…元日テレ・宮崎宣子アナが「ラジかるッ」での“珍回答”の真相を告白

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「ヘキサゴン」から出演交渉も

 テレビがまだ緩やかな時代。「ヘキサゴン」のプロデューサーが「ラジかるッ」のスタジオに来て、冗談交じりに宮崎さん本人に出演交渉をしてきたこともあったという。もちろん、他局だったため出演は実現しなかった。

「(おバカな)自分の姿をテレビで見て、『もう報道のアナウンサーにはなれないな』と思いました(笑)。入社した時には、経験を重ねていつかニュースを担当して、報道番組をやって、40、50代まで日テレのアナウンサーとして人生を全うしたいと思っていました。その後は、何か役職について、できればシニア契約で70代まで日テレにいたいと考えていたんです。でも、全然そうはいかなかったんですよね。」

 番組では、ある“事件”も起こった。なんと、宮崎さんが「ラジかるッ」の生放送に遅刻してしまったのだ。翌日にはスポーツ新聞で、その様子が大々的に報じられた。

「自分が遅刻したというニュースを自分で読みました。しかも、その自分が遅刻したニュースを読んだっていうことがまた記事になったんです。(笑)」

 もともと、両親に自らの働く姿を見てもらうためにアナウンサーになった宮崎さん。両親は、その活躍ぶりをどう思っていたのか。

「実は『ラジかるッ』は、関東ローカル番組だったんです。だから、私が何をしたかは地元のみんなはあまり知らないんですよ。」

「ラジかるッ」が終了して2年後、宮崎さんは退社を決意する。そこには様々な葛藤があったという。インタビュー第4回に続く。

デイリー新潮編集部

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