16歳で「女子アナ」目指し…元日テレ・宮崎宣子アナが「ラジかるッ」での“珍回答”の真相を告白

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44歳で出産して話題に

 44歳で出産して話題となった元日本テレビアナウンサーの宮崎宣子さん(44)。現在は経営者、フリーアナウンサーとして活躍する。宮崎さんの名が一躍、全国区となったのが、情報バラエティー番組「ラジかるッ」(2006~09年放送)への出演だ。日テレ時代を振り返ってもらった。(インタビュー第3回・全4回)

 宮崎市出身の宮崎アナ。そもそも、アナウンサーを目指したきっかけは何だったのか。

「一番の理由は地元を出たかったからです。父が高校の教師で、母から『学校の先生になりなさい』というプレッシャーがすごくて。このまま親の言う通りの人生を送って後悔しないのかと悶々としていました。また宮崎は、民放が2チャンネルしかないんです、今も。見たいドラマも見られなかったし、流行も届かない。昔はおしゃれな喫茶店もありませんでした。思春期をそういう環境で過ごしたので、やっぱり都会への憧れはありましたね」

 親を説得するには、どうしたらいいのかと考えた時、離れていても自分の姿を見せられる職業を思いついた。

「アナウンサーだったら、テレビを通じて自分の働いている姿を見せられると思ったんです。そこで、マスコミに強い大学を調べて、親も『早稲田大だったら行ってもいい』と言ってくれました。16歳の時からアナウンサーになることを決めていましたね」

 アナウンサーになるために、“逆算”を開始した宮崎さん。高校でどういう成績をとったら、早稲田大の推薦をもらえるのか考え、猛勉強した。

 中学ではテニス部だったが、高校では放送部に所属。早稲田大では、アナウンス研究会に入る。着々とアナウンサーになるための準備を進めた。

「大学時代はミスコンにも出たりしました。当時ミスコンはアナウンサーになるための登竜門と言われていました。結果、全然(賞は)取れなかったんです。当時は受けておかないと(テレビ局に)入れないと思っていました。」

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