「いちゃいちゃ用の音楽」という評価は不満だった…世界的サックス奏者のデイヴィッド・サンボーン【追悼】
5月12日、世界的サックス奏者のデイヴィッド・サンボーンが亡くなった。さまざまな場面でBGMとして使われることも多かったので、誰でも一度は意識せずして彼の音楽を耳にした経験があるのではないだろうか。「メロウ」「ムーディ」といった言葉で表現されることも多い甘い音色は、世界中で広く愛された。
何度も彼にインタビューをしてきた音楽ライターの神舘和典氏は自宅に招かれた経験もあるという。もっとも、初対面の時に言った一言で、サンボーンに「がっかり」されたことも――。
その素顔と魅力について、神舘氏の特別寄稿である。
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「いいねえー、サンボーンみたいだね!」
スタジオやライヴ会場でミュージシャンやプロデューサーやアレンジャーが管楽器奏者を讃えるのをよく耳にする。サクソフォン奏者が抜群の演奏をしたときの誉め言葉として、デイヴィッド・サンボーンの名はよく持ち出された。この約半世紀、サンボーンは世界最高峰のサクソフォン奏者の代名詞的な存在で、世界中のミュージシャンたちの憧れであり続けた。
そのサンボーンが、5月12日に永眠した。享年78。前立腺がんだった。
サンボーンは1945年、アメリカのフロリダ州タンパで生まれ、ミズーリ州セントルイスで育った。これはよく知られたことだが、サックスを始めたのは、4歳で小児まひになったのがきっかけ。病気のリハビリとしてドクターに勧められたそうだ。
プロとしてのスタートは1960年代、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドをはじめ、リンダ・ロンシュタット、ジェイムス・テイラー、ブレッカー・ブラザーズらとセッションを重ねた。
アルバム・デビューは1975年の「テイキング・オフ」。その後「ストレイト・トゥ・ザ・ハート(ライヴ!)」やキーボード奏者のボブ・ジェームスとの共同作「ダブル・ヴィジョン」などで6度、グラミー賞を受賞している。
初対面で「できるだけ早く来てくれ」
サンボーンの音は“泣きのサックス”と言われている。ものすごく情緒的で、ジャズでも、ロックでも、彼が演奏するとそれだけでロマンティックな響きになる。代表曲は「ハイダウェイ」や「シカゴ・ソング」あたりかもしれないが、ライヴで聴くならバラードが格別だった「ドリーム」や「リサ」はとても切ない気持ちにさせられる。
本人もよくわかっていて、「ドリーム」をショーのエンディングにすることは多かった。また、スティングをヴォーカルに起用した「エイント・ノー・サンシャイン」でのプレイも名演奏といえるのではないか。
筆者がサンボーンを初めてインタビューしたのは1998年。当時、ニューヨークを拠点に取材をしていたのだが、深夜0時にスタジオに呼び出された。指定された場所はグリニッジ・ヴィレッジ、西8丁目にあるエレクトリック・レディ・スタジオ。ギタリストのジミ・ヘンドリックスがつくり、ジョン・レノンやローリング・ストーンズもレコーディングしている名門だ。
レジェンド、サンボーンからの「できるだけ早く来てくれ」という指示で、筆者は深夜のマンハッタンでタクシーを飛ばした。もちろん初対面。気難しいという噂もあったので、ものすごく緊張した。
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