一昔前なら批判の的…M-1王者「令和ロマン」の「テレビに出ない」宣言が叩かれない理由

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売り出し中の芸人と「怒涛の出演ラッシュ」

 新しく出てきた芸人が1つのネタやキャラクターで注目されたり、お笑いコンテストで優勝したりすると、多くのテレビ番組がその人たちを積極的に起用しようとする。その芸人を出演させるだけで話題作りができると考えるからだ。

 ほとんどの芸人は、ここで積極的にオファーを引き受けて、一時的にブレークを果たすことになる。毎日のようにテレビに出ることで顔を売り、視聴者に認知される。

 ただ、このときの波が大きければ大きいほど、勢いが衰えたときのショックも大きくなる。少しテレビに出るペースが落ちただけで「あいつはもう消えた」と言われたり、一発屋の烙印を押されたりする。

 もちろん、すべてのブレーク芸人がそうなってしまうわけではない。怒涛の出演ラッシュをこなしながら、そこできっちり結果を残してそのままテレビに定着する人もいる。

一昔前なら業界内外から批判も

 ただ、ほとんどの場合、芸人が自分を後押しする波の勢いをコントロールすることは難しいため、そこで不本意な形で溺れてしまったりする。

 また、今の時代、たくさんのテレビ番組に出たところで、テレビを見ていない人には何も届かない。若者を中心にテレビを見ない人が増えている現代では、テレビへの出演ペースをある程度抑えて、YouTubeなどの活動に力を入れることにもそれなりの合理性がある。

 一昔前であれば、売り出し中の若手芸人が「僕はテレビには出ないです」などと言っていたら、業界内外から批判を浴びて袋叩きに遭っていただろう。

 でも、今ではそれを堂々と宣言するくるまが叩かれることはない。叩く方が「感覚が古い」「老害」などと言われかねないほどだ。テレビは芸人を出してあげるメディアではなく、芸人に出てもらうメディアになりつつあるのだ。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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