ドリカム35周年ツアーに出演決定… 神保彰が語る“僕のドラム人生”「奏法自体は若い頃と全く変わってきている」
世界の地で得た感慨
当時、所属していた「アルファレコード」の村井邦彦社長の「インスト(インストゥルメンタル)は国境を超える」という方針を体現する形で、フュージョンバンドのカシオペアは、海外でも積極的にツアーを行った。
80年代半ばには英ロンドンを訪れ、リバーサイド地区の「ハマー・スミス」で演奏した。英国では「ジャズ・ファンク」と呼ばれていたフュージョン音楽を耳にした客らが踊り出す姿を見て、「洋楽に憧れて育った身としては、英米文化圏の人々が自分たちの音楽を聴いて反応し、楽しんでくれることに対して、特別な感慨があった」と述懐する。
カシオペアから脱退
20代の10年間をほぼカシオペアの活動に捧げた神保。野呂に師事して作曲も学び、80年代半ばには、中森明菜のアルバム『BITTER AND SWEET』への楽曲提供(『恋人のいる時間』)を行うなど、活動の幅を広げていた。
ソロ活動も行う中で、櫻井とのコンビで『シャンバラ』、後に『JIMSAKU』につながるユニットを結成。このユニットでの音楽性の追究を模索した結果、二人が好んだ「ラテン音楽を一番のキーにおいて活動したい」と一致。結果、カシオペアを脱退することとなった。後にバンドスタイルで演奏するようになった際に参加したキーボードの森村献の影響でキューバ音楽にも傾倒。「リズム楽器奏者としての表現力を広げるいい機会となった」という。
作曲は後に「1日1曲作ることを自分に課していた時期もあった。“作曲1000本ノック”といった状態で、メロディーの一部やコード進行をベースに、いかに曲を膨らませていくかという作業を身につけていった」と明かす。こうした作業が前述の明菜への提供曲や、NHK Eテレの「おかあさんといっしょ」で歌われる「にじのいろとおほしさま」などにつながってきた。
尊敬する100人
世界をベースに活動を続けてきた神保が2007年10月、『ニューズウィーク』(日本版)の「世界で尊敬される日本人100人」に選ばれた。
米国やロシア、中国といった大国だけでなく、欧州、東南アジア、中東、南米など世界各地を回り、ドラムを叩くと同時にメロディーをも奏でるシステムを使って、一人でオーケストラのような演奏ができる仕組みを使った「ワンマンオーケストラ」と呼ばれる誰もがやってこなかったスタイルで世界を席巻。さらにドラムクリニックを開催してきた。
「純粋にドラムが上手な人なら星の数ほどいる。人と違うことをやってきたことで、(この選考に)引っかかったのだと思うけど、やはり嬉しかったですね」
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