「30代のうちに卵子凍結をしておけばよかった」元日テレ・宮崎宣子アナが振り返る41歳からの不妊治療

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「すごく長いトライアスロン」

 元日本テレビアナウンサーの宮崎宣子さん(44)。現在は経営者、フリーアナウンサーとして活躍する。41歳の時に不妊治療を始めて、2年後の44歳の時に第1子となる長男を出産した。2年にわたる不妊治療を振り返ってみて、改めて思うことを聞いた。(インタビュー第2回・全4回)

 43歳で妊娠した宮崎さん。最初はあまり妊娠した感覚がなかったという。

「どうなっているのかなあと思っているうちに、お腹が大きくなっていった感じです。実感が湧いたのは、妊娠7カ月を過ぎたあたりから。少しずつ、お腹が膨らみ始め、明らかに重くなっていきました」

 昨年10月に無事、第1子となる長男が誕生。44歳という高齢出産だった。

「本当に生まれてきてくれたんだという感じでした。表情が出てきたあたりから一気にかわいくなりましたね。はじめはミルクをあげることに精一杯でしたが、生後3カ月を過ぎたあたりから徐々に落ち着いてきました」

 2年間続いた不妊治療。宮崎さんにとってどんなものだったのか。

「ある意味、すごく長いトライアスロンみたいだったなって感じがします。いろんな“関門”や“種目”があって、超えないといけない“壁”がある。一番の“壁”だったのは、もし、今度ダメだった場合、不妊治療を諦め、次に行くということを決めた時ですね。もうこれで終わりっていう風に決められたことが、自分の中で一番大きかった。不妊治療をやめる、夫と2人で生きていく、という決断をしたんです。重要なターニングポイントだったと思います」

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