元日テレ・宮崎宣子アナ 44歳で高齢出産 きっかけは10歳下の夫の言葉 「ダメ元」で始めた不妊治療

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いくつもの「関門」が連続

 夫と話すうちに、だんだんと出産のことを意識し始めた。ただ、迷いもあったという。

「当時、私は41歳。年齢的に、ちょっと厳しいんじゃないかと思っていました。もうダメかもしれないけど、ダメ元でやってみようという感じで不妊治療を始めたんです」

 高齢出産の経験がある友人から病院を紹介してもらい、通い始めた。「すべてが初めての経験でした。何をやるか全然知らないまま行ったので、医師からの説明で知るような状況でした」

 治療は約2年に及んだ。

「治療は毎月することができるんですが、休み休みやっていました。1回やったら、1カ月間あけて、もう1回やる感じです。精神的にも肉体的にも辛い時は、2カ月ぐらい空けた時もありました。休憩しながらやったので、2年間の治療を乗り越えられたのだと思います。ダメ元で通っていたとはいえ、もしかしたらと期待してしまうこともありました。ダメだった時は結構ショックでしたね。妊娠していますと言われた時は、嬉しい気持ちよりも本当に? という疑いの気持ちの方が強かったですね」

 最終的に出産するまで、いくつもの「関門」が連続している感じだったという。そうした辛い時期を乗り越えられたのは、夫の存在が大きかった。

「夫は期待する言葉を1度も言いませんでした。ダメだった時も『次、頑張ればいいじゃん』みたいな感じで、楽観的だったんです。『子どもができなくても、2人で旅行したりとか、美味しいものを食べたりして、過ごそうよ』と言ってくれて、変なプレッシャーは全くなかったです」

 2年間の不妊治療を経て、妊娠・出産した宮崎さん。途中、大きなターニングポイントがあったという。インタビュー第2回に続く。

デイリー新潮編集部

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