母親の介護で芸能界を引退、父親の墓前で自らの命を…清水由貴子さんの人生は苦難の連続だった

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苦難の連続だった人生

 振り返ると、清水さんの人生は、芸能界にデビューする前から苦難の連続だった。

 彼女が9歳のとき父親が心臓の病気で他界。まだ39歳だった。彼女のほかに1歳の妹がおり、家族は東京・浅草の親類宅で生活保護を受けつつ生活した。どん底の貧乏生活である。高校も奨学金をもらって卒業した。

「ずっとお金に縁がなかったせいか、芸能界に入ってからも高級なものはなかなか買う気が起きなかった」(朝日新聞:91年9月28日夕刊)

「家族を喜ばせたい」と都内に一戸建てを購入し、母と妹と暮らした。要介護認定のために訪れた調査員に「何とかやっています」と明るい表情で語っていたそうだ。たしかに健康的な明るさが清水さんの魅力だったが、真面目な人だっただけにつらさを表に出すことはできなかったに違いない。やり場のない無念を感じてしまう。

 清水さんの悲報を受けて、世間はどんなことを思ったのだろう。当時の新聞記事をもう一度読むと、「ひとりの芸能人の死」というより我が身に寄せて、自分自身の問題として受け止めていたことが分かる。

 姑を介護するさなか病気になり手術を受けた関西の女性(57)は、退院後、「頑張らないようにしよう」と言い聞かせたが、精神状態がおかしくなり、恐ろしい雑念にとらわれた瞬間もあったという。

 09年5月8日付の朝日新聞大阪版の「声」の欄には、こんなことが書かれていた。

《デイサービスやショートステイでは本当にお世話になった。来てもらっていたヘルパーさんには姑の愚痴を聞いてもらい、一緒に涙したこともあった。介護者の会でも他の家庭の様子を知り、参考にさせてもらった。自分の今の状況を誰かにわかってもらえるだけで、ずいぶん気が楽になった。気持ちのはけ口がなければ人はつぶれてしまう。介護する人の精神的負担は計り知れない》

 たしかに、清水さんと同じように、介護者が介護疲れで悩むケースは多い。仕事を辞めて将来に不安を抱いたり、自分が体を壊してしまったり。介護に専念しようと決意したが思うようにできず、自己嫌悪に陥るケースも多いようだ。

 私の知人も、同居母親が認知症になって暴言暴力がひどくなり、グループホームに入れたという。「家が好きだった母を、私が駄目なばかりに施設に入れてしまった」と悔やんでいたが、介護をしながら自らが病気になってしまう人はとても多い。しかも、超高齢化社会。介護者にはゴールが見えない不安も付きまとう。

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