母親の介護で芸能界を引退、父親の墓前で自らの命を…清水由貴子さんの人生は苦難の連続だった

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 まさに衝撃的なニュースでした。母親の介護に専念するため芸能界を引退していた清水由貴子さん(1959~2009)の突然の訃報……。歌手としてデビューし、俳優やレポーターなどで明るく振る舞っていた彼女に、一体、何があったのか。朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。清水さんの死を改めて見直すと、彼女が抱えていた悩みは、決して他人事ではないことを教えてくれます。

「母ちゃんを連れて行く事許してください」

「介護のつらさは経験した者でないと分からない」

 そんな声をよく耳にする。

 しかも、責任感が強く真面目な人ほど「助けてほしい」となかなかSOSを発することができないのが現実だ。介護・看病疲れで自ら命を絶った人のニュースが日々報じられているが、この人もまた献身的に母親の介護をしていた末、死を選んだ。

 2009年4月21日午後、静岡県小山町の霊園にある父親の墓前で命を絶っているのが見つかったタレントの清水由貴子さん(享年49)である。その傍らには、母親が意識不明の状態で車椅子に乗っていたが、命に別条はなく、警察に保護された。

 富士山を望む自然豊かな霊園。現場近くには「消防に通報してください。ご迷惑をおかけします」などとA4判用紙2枚に書かれたメモがあった。携帯電話には「母ちゃんを連れていく事許してください。天国で幸せ見守っています」と妹に向けた未送信のメールが残っていた。

 この日の午後、清水さんの家族から「20日に墓参りに行ったまま連絡がとれない」という電話が霊園にあったため、職員が捜していた。

 母親は認知症で、糖尿病による合併症で視力が低下。転倒して肋骨も折り、要介護度は下から2番目の「要支援2」から最も重い「要介護5」になっていた。清水さんを知る介護関係者は「自分ひとりですべてを背負ってしまい、自分を追い込んでしまったのではないか」と話していた。

 1977年に「お元気ですか」で歌手デビューした清水さん。テレビドラマに俳優として出演したほか、萩本欽一さん(82)のバラエティー番組などで欽ちゃんファミリーのメンバーとしても人気を集めた。

 2003年にはNHK朝の連続テレビ小説「こころ」にも出演。しかし、その3年後に所属事務所を辞める。母親の介護に専念するためだった。そのころ清水さん自身も、うつ状態だったという。

「(母親が)食事をおいしく食べてくれない。おいしくないのかも」

「おむつを何種類も試してみたのに……」

 などと悩みを訴えていたらしい。

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