あれから25年…松坂大輔VSイチロー 3打席連続三振!“伝説”の初対決を振り返る!

スポーツ 野球

  • ブックマーク

「平成の怪物」VS「平成のスーパースター」

 1999年5月16日の西武対オリックスは、“平成の怪物”松坂大輔VS“平成のスーパースター”イチローのプロ初対決が実現した試合であり、四半世紀過ぎた今も“伝説”として語り継がれている。前年、横浜高のエースとして春夏連続全国制覇を実現し、甲子園で数々の快挙を達成した18歳の松坂に対し、当時25歳のイチローも前年、NPB史上初の5年連続首位打者の偉業を成し遂げ、“天才打者”の名をほしいままにしていた。【久保田龍雄/ライター】

 両スターの夢の対決は、1998年12月、ドラフト1位で西武入りした松坂が、入団会見の席で「イチローさんを力でねじ伏せたい」と宣言し、イチローも「持てるものを全部出してほしい。僕もそうする」と受けて立ったときから、カウントダウンが始まっていた。

 そして、約5ヵ月後の5月16日の日曜日、西武ドーム(現・ベルーナドーム)でのオリックス戦で、予告先発として松坂の名が告げられると、イチローとの対決をひと目見ようと、内野指定席は前々日までに完売。当日売りの立ち見席4000枚を含む内野自由席9000枚、外野席4000枚を求めて、前夜から約100人の徹夜組も出た。

 入場券売り場では、残りが立ち見席だけになった時点で「立ち見となりますが、試合をご覧になれない場合もございます。あらかじめご了承ください」と呼びかけ、最終的に同球場では1997年8月30日のオリックス戦以来、最多タイの5万人が入場した。

 プロデビュー以来5試合に登板し、2勝2敗、防御率1.96の松坂は、5月3日の近鉄戦で右手中指を吊るアクシデントから4回途中降板して以来のマウンド。中12日のブランクが心配されたが、イチローとの初対決を前に、特に緊張した様子もなく、立ち上がりから気合十分だった。捕手・中嶋聡(現・オリックス監督)は「いつもより速い球を投げてやろうという感じだった」と証言し、東尾修監督も「投げたくてうずうずしてたんじゃない」と評した。

次ページ:「真っすぐで空振り三振を取りたかった」

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。