忘れ去られた“天才ピアノ少女”が復活できたワケは? フジコ・ヘミングの数奇な人生
忘れられないレナード・バーンスタインとのキス
31年、ベルリン生まれ。父親はスウェーデン人の画家で建築家。母親は東京音楽学校(現・東京藝術大学)を卒業しベルリンに留学したピアニスト、大月投網子(とあこ)。
東京藝術大学を卒業後、ベルリンに留学。レナード・バーンスタインさんからも高く評価される。フジコさんは本誌にこう述懐した。
〈彼は私のピアノをものすごく気に入ってくれて、演奏が終って席を立とうとしたとき、私のことを抱きしめてキスしてくれたの。唇を離したときに、唾が糸を引いてね、あのことは一生忘れられないわ〉
口癖は「少し間違っても構いやしない」
70年、バーンスタインの後押しでウィーンでコンサートを開くことになったが、直前に聴力を失ったのだ。
スウェーデンやドイツでピアノ教師として生きた。
「猫とピアノが親友で助けられたと話していました」(沓沢さん)
母親が亡くなり、下北沢の家を残したいとの思いから95年帰国。NHKの取材を受け、時の人に。
幼い頃、ピアノ以上に絵が好きで、描き続けていた。09年、沓沢さんと絵本『青い玉』を刊行した。
「話の中で猫がさびしい思いをする場面があったのです。すると、かわいそうじゃない、ここは書き換えて、と怒られました。たとえ物語でも自分の気持ちにまっすぐでした」(沓沢さん)
この絵本の印税をはじめ、演奏会の収益の多くを動物愛護や福祉に寄付している。
昨年11月、自宅で転倒。海外を含め今夏まで公演が入っていたがキャンセル。次の絵本の準備も進んでいた。リハビリを続けていたが3月に膵臓がんが見つかる。
4月21日、92歳で逝去。
「少し間違っても構いやしない。機械じゃあるまいしさ」が口癖。作曲家がどんな気持ちで作ったのだろうと思いをはせ、技巧ではなく音のひとつひとつに色をつけるように弾いていた。