【虎に翼】異例の“台詞なし23秒間”演出、寅子の怒りを込めた演説が意味すること
朝鮮に帰っていった「ヒャンちゃん」
在日朝鮮人の崔香淑(ハ・ヨンス)は、日本語が正しく発音できないために馬鹿にされた経験をバネに、法律家になりたいと寅子たちともに歩んできた。女子部の新規募集中止の時も先頭に立って学長に抗議し、次の高等試験で合格者を出せば募集を再開させる確約をとりつける。
だが、在日朝鮮人や思想犯に対する特高警察の弾圧が厳しさを増し、兄が勤める出版社では発禁処分が相次ぎ、ついに兄も朝鮮に帰国する。香淑自身にも容赦のない捜査の手が及ぶようになり、ついに高等試験を断念し、国に帰ることを決める。寅子たち女子部の仲間たちは、以下のようにして海辺で彼女との別れを惜しむ。
「お国のお言葉でのあなたのお名前は?」
――崔香淑は漢字を日本語読みした「サイ・コウシュク」と呼ばれていた。仲間も本来の読み方を知らなかったのだ。
「私の名前はチェ・ヒャンスクと読みます」
「ヒャンちゃん・・・」
仲間たちからそう呼ばれた彼女は、歌を披露してほしいと寅子にねだる。
歌ったのは『モン・パパ』。子どもの目から見たパパとママの力関係をユーモラスに表現した歌だ。外では一家の主として振る舞う父親が、家庭では母親に頭が上がらない実状を楽しく表現している。同時に、女性がいくら有能でも外では夫を立てなければならない理不尽を皮肉るような歌詞でもある。女性の強さやしたたかさを示す表現でもあり、「性」による役割分業を問い直すこの朝ドラでは、劇中のテーマ曲として時々登場する。
「うちのパパとうちのママと並んだ時、大きくて、立派なはママ。うちのパパとうちのママがけんかして、大きな声で怒鳴るはいつもママ。嫌な声で謝るのは、いつもパパ…」
寅子の歌声が海辺に響く別れのシーン。仲間たちの笑顔が輝く美しい場面だった。
日本が朝鮮半島を植民地にして特高警察が言論を弾圧した時代である。朝鮮出身者が植民地支配からの脱却を願うのは当然だろう。日本人でも女性は弁護士になれない時代に、在日朝鮮人の女性が弁護士になるのは、まだ現実的ではなかった。民族愛のために日本を去った「ヤンちゃん」の思いも寅子たちに刻まれた。
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