「青葉城恋唄」は10分で完成、断りたかった「仙八先生」に出演…さとう宗幸(75)が明かすデビュー45周年“秘話”

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ドラマの世界へも

『青葉城恋唄』で、全国区の知名度を獲得したさとうに、ドラマ主演の話が舞い込む。TBSの人気シリーズ『3年B組金八先生』 『1年B組新八先生』に次ぐ『2年B組仙八先生』だ。

「いやいや、歌と芝居は完全に別物と思ってましたから。確かに(金八の)武田鉄矢さんや(新八の)岸田智史さんなど、役者として大成している人もいたけれど、生意気なことですが、マネジメントには『とてもできやしないからやんわりと断ってくれる?』と話していたんです」

 だが、TBS側はあきらめなかった。名古屋でのコンサートにプロデューサーやチーフディレクターが訪れ、コンサート後に出演を懇願された。

「そこまで言われては。人の誠意に応えなくてはならない」

 引き受けたものの、役者としての発声などは全く勉強もしたことがなかった。最初の台本読み合わせで5人のディレクターを前にしたさとうの声は思いのほか、小さかったという。

「後日談で聞かされましたが、あのときは、5人のディレクターが5人とも『今回はミスキャストだったね』と話していたそうです」とさとうは苦笑する。

 だが放送が始まってから、ドラマは大いに好評を博した。それまでの『金八』や『新八』が2クール(半年)のドラマで、『仙八』も81年4月からのドラマ放送開始後、7月後半には2クール分のドラマ収録を終えようとしていた。

「慣れない稽古とロケとセットでの収録。最初はこれが半年も続くのかと考えていたので、2クールの終わりが近づく頃には、あと4話、あと3話、と指折り数えていたんです」

 だがある日、番組のADが笑顔満面でさとうに話しかけてきた。「喜んでください。半年延びましたよ」。

 番組は翌年3月までの1年間全45話が放送された。

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