上川陽子外相がなぜ「次の首相にふさわしい人」に? 背景に政治家を目指していた夫の存在が 「私よりもチャンスがある」と応援
雅子皇后の父親に師事
彼女は高校卒業後、東京大学文科三類に入学を果たしたが、当時の女性としては珍しく浪人生活を経ている。進学に際しての時代的な制約について、
〈東大に行くというのは、なかなか許されないところがあるじゃないですか。偏差値や点数がよほどよければ、「あなた東大に行きなさいよ」と先生も言うかもしれないけど〉(同)
とも語った上で、
〈いろんな壁があるから、なかなか乗り越えられない。それをいつも取り除いてくれたのは母かなという気がします〉
と感謝の言葉を述べている。そんな母親の支援を受けて念願の赤門をくぐると、3年時の進学振り分けで教養学部教養学科に進学。国際関係論を専攻したのだが、そこでゼミ生として師事したのが雅子皇后の父親で、外務官僚の小和田恆(ひさし)氏だった。小和田氏は外務省勤務の傍ら、東大で国際関係論の教鞭を執っていたのである。
『「学ぶこと」と「思うこと」 学び舎の小和田恆先生』という本で、上川氏は小和田邸に招かれた際の想い出をこうつづっている。
〈まるで旧制高校の先生と教え子のような率直で打ち解けた雰囲気。我々はついつい夜遅くまで無遠慮に居座ってしまい、途中で当時小学生だった雅子様と二人の妹さんが「おやすみなさいませ」のご挨拶に出てこられました。それでも話は尽きませんでした〉
ハーバード大学への留学が転機に
東大卒業後、三菱総合研究所に入所。事務職で入社したといわれている。時代は男女雇用機会均等法施行以前。東大出の才媛も、総合職の働き口を見つけるのは容易ではなかったのだ。もっとも、彼女はくじけなかった。
「就職後、社内試験を経て研究職に就いたといいます」(先の政治部デスク)
一方で、日本銀行職員の上川卓苗(たくなえ)氏(現在退職)と結婚。2女をもうけた。育児と仕事の両立について彼女は、
〈上の子のときには会社に勤めていて、育児時間というのもなかった。1時間とか30分とか授乳時間というのはあったんだけれども、結局それを取ることができなかったのね。仕事も残業で忙しかったし。だから、わりと無理しちゃった〉(前出「ふぁみりす」)
苦労をそう語っているが、ターニングポイントは86年、米・ハーバード大学へ留学したことだった。
「三菱総研を退社した彼女は、フルブライト奨学金を取得。恩師の小和田氏の推薦を得て、ハーバード大ケネディスクールに留学し、政治行政学の修士号を取得しています。彼女は“留学時代に海外から日本を眺め、改革の必要性を痛感したこと”が政治家を志した理由だと説明しています」(先のデスク)
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