父親が自死してわかった母親と愛人との理解不能な三角関係…息子の43歲不倫夫は「結局、自分も愛人に全く同じセリフを言ってしまった」
「暁子さんも呼んだほうがいいのかしら」という母
母はひとり静かに父を見つめていた。父の顔に布はかかっていなかった。おとうさんが目を閉じてくれないのよと母は苦笑いした。晋也さんが見ると確かに父の左目がうっすらと開いている。彼がそうっとまぶたを撫でると、左目は閉じた。
「おかあさんをずっと見ていたかったんじゃないのと言うと、母は『暁子さんも呼んだほうがいいのかしら。だって暁子さんの家で死んだのよ、おとうさん』と。その時点で、僕は父が自死したとしか聞いていませんでしたから、びっくりしちゃって。事実にも驚いたけど、母が淡々と暁子さんの名前を出すから……。やっぱり僕にはわからない三角関係だったんでしょうね。父の遺書も見ましたが、肝心なことは何も書いてない。『もう老いた。生き切ったよ。みんな、ありがとう』と、それだけです。前夜は母と外で食事をしたらしいし、当日は暁子さんとランチをしたらしい。死ぬ前の日の夜を一緒に食べたのと、当日のランチ、どちらが重いのか、つまり妻と恋人、どちらが父にとって重要だったのかを思わず考えてしまいましたね」
暁子さんは通夜の時間帯には現れず、深夜遅くに会場に姿を見せた。午前1時を回っていて、さすがにもう人がいなかった。焼香をすませると、暁子さんは母に一礼した。母も一礼した。お互いに見つめ合って、ふたりが密かに口元を緩めたのを晋也さんは見逃さなかった。
「なんだろう、このふたりと言葉にならないものを感じました。暁子さんはそのまま去っていったので、僕は思わず追いかけてお礼を言いました。すると『素敵な人だった。私は一生、彼を思いながら生きていくから』と。また連絡しますねと言ったんですが、暁子さんはそのまま行方がわからなくなりました。もともとフリーランスで仕事をしていたようなのですが、携帯電話もつながらなくなって」
晋也さんの喪失感は、自分が考える以上に深かった。産まれたばかりの子に癒やされながらも、むしろその感覚は深まっていった。喪失感がそのまま自分自身の絶望にとって代わってしまいそうな気さえしていたという。ただ、四十九日のときに母に会うと、母はけっこうあっけらかんとしていた。
「あの母の強さが羨ましかったですね。『寂しいのよ』と言いながらも、納骨式の最中、ちょっとすみませんと席を外して電話で仕事の話をしているんですから。きっと暁子さんもひとりでしっかり生きているんだろうと思いました。母と暁子さんは似ていたんじゃないかなあ」
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