イノベーションを起こせない企業、資金力のないメディア…巨大プラットフォーマーを前に日本が直面する「恐ろしすぎる社会」
合理的に説明できない雇用慣行は違法
社会の最適化の波をムラ社会の日本も免れられないとしたら、日本企業の行き先はどうなるのか。
「日本的雇用の本質は、正規と非正規、親会社と子会社、海外の現地採用と本社採用のように、属性によって社員を差別することなので、リベラル化する社会では存続できません。“同じ仕事をしているのに、なぜ正社員と扱いが違うのか”と非正規から聞かれて、”お前の身分が低いからだ“とは言えませんよね。こうして裁判所も、これまで広く認められていても、合理的に説明できない雇用慣行は違法だとの判決を次々と出すようになりました。
変化はまだまだ遅いですが、こうして日本の会社も徐々にグローバルスタンダードな雇用形態になっていかざるを得ないでしょう」
グローバルスタンダードな雇用、例えば、ジョブ型雇用の場合、成果が上がらなければ解雇も容易となる。
「出版社を例にあげると、欧米では、新しい雑誌を創刊しようと思ったら、そのテーマにあった編集者を外部から採用してプロジェクトを立ち上げ、うまくいかなかったらチームを解散してスタッフを労働市場のプールに戻すでしょう。こうしたプロジェクト方式は日本でも映画制作などで行われていますが、年功序列・終身雇用だと、いったん雇った社員を解雇できないので、“いまいる社員でなんとかしよう”という発想になる。
こうして適材適所ならぬ『不適材不適所』になって、本人の適性にまったく合わない仕事をさせ、社員が心を病んだり、トラブルが多発する原因になっています。これはもちろん出版社だけのことではなく、日本でイノベーションが起きない理由は労働市場の流動性の低さにあると思います」
“真実の液状化”が進んでいる
『テクノ・リバタリアン』では物理学者のエイドリアン・ベジャンが唱えたコンストラクタル法則が紹介されている。ベジャンによれば、世界に存在するあらゆる生物と無生物は単純な法則に従っており、例えば、水の中で魚が流線形に進化したように「流れがあり、かつ自由な領域があるのなら、より速く、よりなめらかに働くように進化する」という。
河川の分岐にたとえると分かりやすいだろう。山間部の大河は平野部でいくつもの支流に分岐する。その際に起きるのが、大きな支流と小さな支流の「階層」だ。進化と自由の裏側では階層化が進むのである。
インターネットの世界でも、すべてのサイトがアクセスを集められるわけではなく、Googleなどの一部のプラットフォーマーが膨大なアクセスを獲得する。情報が増えれば増えるほど、サイトも大きな支流と小さな支流に分岐する。そのことが予見するのは、日本のメディアの未来である。
「ウェブ上で個人が自由に情報を発信できるようになったことで、既存メディアも含めた熾烈なコンテンツ競争が起きています。そうなると、Qアノンのような陰謀論の情報と、ジャーナリストが時間をかけて取材した情報が、プラットフォーム上で等価に扱われてしまう。こうして、なにが正しいかわからないという“真実の液状化”が進んでいます。これが『ポスト・トゥルース』といわれる状況です。
さらに今後、生成AIの性能が向上すれば、イラストや写真、動画がフェイクかどうか区別がつかなくなるでしょう。これは恐ろしい事態ですが、内容が正しいかどうかにかかわらず、ウェブ上で流通するコンテンツの量が増えればプラットフォーマーの利益は上がり、ますます巨大化していきます。この混乱のなかで、ネットの階層化はさらに進んでいくでしょう」
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