14歳・岩崎恭子を“金メダル”に導いた「意外な一言」とは?(小林信也)

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コーチの声かけ

 無邪気に喜ぶ14歳の心の内を見抜いて、大切な言葉をかけてくれたのが、日本代表ヘッドコーチの鈴木陽二だった。鈴木は4年前、鈴木大地のコーチとしてソウル五輪で金メダル獲得を実現している。この時も、陽二と大地、そして限られたチーム関係者だけが大地の金メダルを頭に描いていた。

 鈴木コーチはプールを離れる前、岩崎に声をかけた。

「恭子ちゃん、あと1本、泳ぐからね」

 その言葉で、「浮かれた気持ちから覚めた」と岩崎が言う。さりげない言葉。だが、この後なすべきことを思い出させるには十分な一言だった。

「絶妙な言い方で、私の浮かれた気持ちを戦う姿勢に変えてくれた。あの言葉がなかったら、私は決勝でしっかり泳げていなかったでしょう」

 夜の決勝までの間、水泳場から40分くらい離れた選手村で過ごした。

「いまと違ってSNSもありません。誰かと携帯で話すとか、LINEもない時代。選手村で回し読みしていた雑誌があって、私は鈴木大地さんのことが書かれた『ナンバー』を読んだのを覚えています。何が書いてあったかは忘れたけれど、それを読んですごく刺激は受けました」

 突然訪れた金メダル獲得のチャンス、と周囲は感じていた。が、話を聞いてみると、岩崎本人にとってはそれほど唐突な展開ではなかったのかもしれない。

「1年前のアメリカ遠征の時から始まっていたのです」

 岩崎が回想する。

「中学1年の時、初めて海外遠征に選ばれた。サンタクララ遠征でした。その時も5秒くらいタイムを縮めたのです。14歳でみなさん驚きますが、4年前のソウルでも金メダルを取ったのは14歳のクリスティーナ・エゲルセン(ハンガリー)でした。200メートル背泳ぎです。それに、12歳でモスクワ五輪代表に選ばれた長崎宏子さんがずっと憧れでしたから」

硬い壁みたいな水

 14歳が早すぎるという意識は岩崎にはなかった。むしろ、長崎に2年も遅れているくらいの気持ちだった。

 決勝でも、ノールが先行するのは目に見えていた。案の定、最初の50メートルは体ひとつ近いリードを奪って折り返した。岩崎は5番手。100メートルも150メートルでもほぼ同じ差。岩崎は2位で残り50メートルを迎えた。体半分の差が一気に縮まり始めたのは25メートルを切ってからだ。疲れたノールを、後半勝負の岩崎がどんどん追い上げる。

「疲れてもいない。どんどん進む。水が硬い壁みたいに勢いよく蹴れる、すごい手応えがありました」

 残り10メートルを切って、岩崎が完全にノールの前に出た。さらに、反対側から追い上げる林莉(中国)をも寄せ付けなかった。

 2分26秒65。予選よりさらに1秒以上速い五輪新記録で岩崎は日本女子競泳史上3人目、そして最年少で金メダルを獲得した。

「メダルは考えていませんでした。でも、いつもやっている“100%の力を出す”、それがバルセロナでもできました。その結果が金メダルでした」

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年5月2・9日号掲載

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