元死刑囚は真犯人だったのか…「飯塚事件」でスクープを連発した「西日本新聞」が“ゼロからの再検証”に挑んだ理由
「容疑者の言い分」キャンペーン
――実際に再検証がスタートし、飯塚事件の取材にこれまで全く関わっていなかった2名の記者による取材班が組まれました。ただ、警察にとって都合の悪い記事を書く可能性もあるなか、今後、後輩たちが警察取材をやりづらくなるのではといった心配などはありましたか。
宮崎昌治氏(以下・宮崎)「その点は全くないですね。あの事件は、福岡県警の刑事で知らない人はいないぐらいの事件なんですけども、当時巡査ぐらいのレベルで関わった人はともかく、少なくとも特捜班長や管理官、捜査一課長など幹部クラスの人は皆、検証を始めた当時には勇退されてます。そういう意味では、まさに過去の事件なので、現実的に今後の警察取材でマイナスになるという発想は全然なかった。西日本新聞社はかつて当番弁護士制度が始まった時に『容疑者の言い分』というキャンペーンを進め、日本新聞協会賞を受賞したことあります。この時は、警察と猛烈に緊張関係になりましてね。要するに“容疑者の言い分を報道するなんてお前らは弁護士の味方か”ということで、当時は西日本新聞の記者だけが刑事部屋に入れなくなりました」
傍示:「『容疑者の言い分』キャンペーンでは、ネタ元にしていた巡査部長から“もう夜回り来るな”と言われたり“お前のところとはもう付き合いを断つ”とかも言われました。それぐらい反発は大きかったですね。だから僕も宮崎もそういう意味で慣れてたっていうかですね。別に嫌われてもいずれ回復できるだろう、というのはこれまで経験してきたんで。現場の記者が今後取材しにくくなるだろうなっていう懸念は本当に持たなかったです」
「最も久間を犯人だと書き続けた私が関わらないと」
――たとえばDNA型鑑定の結果など、飯塚事件に関する重要なスクープは宮崎さんによるものです。再検証はご自身が手掛けたスクープに対してメスを入れるような形になる、痛みを伴う取材になるわけですが、そんなに簡単に傍示さんに「やりますよ」と言えたのですか。
宮崎:「どこまで話していいかよくわからないんですけども、久間が起訴された後に、ある捜査関係者と話していたとき、その方が“久間がやったっちゅう確信は、実は俺にはないんだよな”と言うわけです。“あいつは死刑になるやろうけど、執行まで長い時間があるやろうから、その間に久間が真人間に戻って、何があったのか喋るかもしれん。お前は記者を続けて、その時が来たらお前が書けよ”という言葉を、僕はその方から預かってるんですよ。それが元々の根本にあります。捜査をやってきてた方が“確信がない”と言ったっていうのが、僕の中ではずっと残ってたんです。そのため、この事件について、本当に久間がやってないとも思えないけど、間違いなくやったという確信もない、そんな複雑な思いを抱き続けていました。そうしたなか、傍示さんから“やるぞ”と声をかけられて、この仕事は僕以外が社会部長だったらできないと思ったんです。あの事件で最も久間を犯人だと書き続けた私が関わらないと、周囲も納得しないと思うので。傍示さんからそう言われた以上、これは受けざるを得ないな、と。その代わり、“私は久間が冤罪だという立場ではないですよ”と傍示さんに告げた記憶はあります」
傍示:「検証報道は事件を冤罪と決めつけてやるわけじゃない。だけど、自分たちが報道しきれなかった部分も含めてもう一度、先入観のない記者たちで取材し直してみよう。その結果、もしかしたら新証拠にたどり着けるかもしれないけど、それはやってみなきゃわからない。ただ、とりあえず納得できるまでもう一度調べ直してみようよ、というところですね。私が編集局長で、宮崎が社会部長でなければ、多分できなかったと思います。宮崎の話にもありましたが、あらかた“4本の柱”が揃った時に、私も捜査幹部から聞いたんです。“我々はもう全ての捜査を尽くして久間にたどり着いた。確信を持っているが、はっきり言って柱の1本1本は弱いんだ。4本を束にして審理してくれれば間違いなく有罪に持ち込めるが、1本1本をバラバラに検証されたら無罪判決が出てもおかしくない。それはもう裁判官が決めることだ”と。捜査幹部すらやっぱり“わからん”という部分はあったわけですよね」