9度目の受験、34歳で公認会計士試験に合格した元阪神投手の述懐 「試験勉強とピッチャーには共通点がある」

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捨てるべきは「プライド」ではなく、「見栄」

 一見すると、まったく異なるように思える「野球と受験勉強」について、奥村の説明はさらに続く。

「本番で最高のパフォーマンスを発揮するために、挑戦と失敗を繰り返しながら少しずつ自分を成長させていくということで言えば、両者はまったく同じです。それに、両者とも数字との親和性が高いのも共通しています。よく、“相性がいい”と言いますけど、この打者に対して、どの投手を起用するか? あるいは、“AよりもBの方が、得点圏打率が高いから、チャンスではBを起用しよう”というのも確率論に基づいて物事を判断しています。野球選手は小さい頃から、数字になじんでいるんです」

 公認会計士試験に合格して、すでに10年以上が経過した。かつて自分がプロ野球選手として奮闘した時代も、遠い過去のものとなりつつある。それでも、当時経験したさまざまなことが、現在の奥村にとっての血となり、肉となっていることも実感している。

「現役を引退して、ホテルのレストランでアルバイトをするときに、僕は履歴書に《阪神タイガース在籍》と書きませんでした。いや、書けませんでした。そうすると、人生に空白期間ができてしまいます。“この間は何をやっていたんですか?”と質問されても、“何もしていません”とウソをつかなければいけなくなる。でも、たとえ結果は残せなくても、“自分はプロ野球選手だったんだ”と認めることができれば、他人からの評価も変わることを知りました。そして、公認会計士の受験勉強でもサクッと合格せずに9年間も試行錯誤したことが、今とても役立っています」

 こうした人生経験を経て、奥村は「ひとつの真理」に気がついた。

「《元プロ野球選手》という肩書きは、僕にとって、とても大切な過去です。ある時期はそれが重荷になっていたこともあったけど、今になって思えば、“捨てるべきはプライドではなく、見栄なんだ”と気がつきました。

 さまざまな経験を経たからこそ、今の自分がある。奥村の発言には、彼のそんな思いが色濃く伺える。だからこそ、現役選手たちに対する視線も温かい。

「現役でいる間は、パフォーマンスを最大化することに注力すべきだと思います。けれども、ただグラウンドで練習することだけが野球ではない。野球以外の他のことから知識や情報を得て、それを自分なりにかみ砕いて野球に置き換えて考えてみること。そんな視野の広さを持つことができれば、そこから何かが見えてくるはず。自分自身の反省を踏まえて、現役選手たちには、それを伝えたいです」

 高校時代も、タイガース時代も甲子園球場のマウンドに立つことはできなかった。けれども、わずか4年間で終わったプロ野球人生があればこそ、現在の自分が存在する。決して過去を否定することはない。見栄は捨てても、プライドは捨てない。胸を張って現在を生きる奥村武博の言葉は最後まで力強かった――。
(文中敬称略)

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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