高校球児が燃え尽きる“甲子園至上主義”の理不尽…チームより個人を優先する「リーガ・サマーキャンプ」は野球の未来を変えるか
周囲と比べて図抜けた能力
そうした思いを特に強く持ち、リーガ・サマーキャンプにエントリーした選手がいる。工藤琉人、日本体育大学附属高等支援学校の3年生だ。
知的障がいを抱える彼は小学2年生から野球を始めて中学までプレーしたが、野球部のない同校に進学した。
「入学した頃は、学校を辞めたいなってずっと思っていました。それくらい野球をしたくて……。寮生活なので、バットやグローブを持っていって自由時間があれば素振りする。それを続けてきました」
スポーツに特化したこの高等支援学校で工藤は陸上部に所属し、やり投、円盤投、砲丸投を専門としている。第61回北海道障がい者スポーツ大会の陸上競技ではソフトボール投(障害区分27-少)で優勝、記録97m67は全国記録を6m以上も上回る快挙だった。やり投も第76回北海道高等学校陸上競技選手権大会で49m53を記録した腕前だ。
一方、知的障がいのある生徒が甲子園出場を目指せる土壌づくりを目的とする「甲子園夢プロジェクト」で工藤は野球を続けている。だが毎月の開催場所は都内近郊のため、網走在住の工藤は「年に3回行けるかどうか」だ。遠方から駆けつけても、心から満足してプレーできるわけではない。彼の能力は周囲と比べて図抜けているから、力をセーブせざるを得ないのだ。前述の荻野氏が語る。
「工藤君は高校1年生で130km/h近くのボールを投げ、バッティングも左打席からスタンドに放り込めました。当時は強豪校でも通用するレベルで、高校3年間しっかり野球をする環境があれば、大学や社会人で活躍する可能性もあったと思います。知的障がいがあるとは、言われないとわからないレベルです」
母親の香織さんは「甲子園を目指せなくても、甲子園を目指している人たちと同じグラウンドに琉人が立てれば」と願い、地元の北海道高校野球連盟釧根支部に申し込んで夏の支部大会決勝で始球式に投げさせてもらった。2022、2023年と登板し、昨年は大会関係者から「(出場選手を含めて)今大会最速でした」と言われるほど速い球を投げ込んだという。SNSで動画を見ると、多くの高校球児より力強い球を投げていた。
チームを離れ、1人の選手としてプレーする
香織さんは息子に野球を存分にプレーさせられる場所を探し、ついに出会ったのが個人エントリー型のリーガ・サマーキャンプだった。工藤は久々に野球を思い切りプレーできる機会を待ち望んでいる。
「自分はうまい人とやれると燃えてくるタイプです。甲子園夢プロジェクトではうまく捕れない人もいるから、相手のことを考えて投げないといけない。サマーキャンプは遠慮しないで送球できるので楽しみです。僕が今、野球部に入っていないからといって手加減はしてほしくない」
リーガ・サマーキャンプという機会がつくられたからこそ、工藤は久しぶりに本気で野球をプレーできる。しかも相手にはドラフト候補や、海外の名門でプレーする選手もいる。チーム単位の高校野球と異なり、個人に焦点を当てるからこそ多様性が実現可能になるのだ。
大会を主催する阪長代表理事が言う。
「サマーキャンプでは既存のチームから離れ、1人の選手としてそこで出会う仲間とプレーします。環境が変わることで、まだ自分自身も気づいていない能力を引き出せるチャンスがあると思います。それぞれの選手が自身の中に内在する『できる自分』を見つけ出す。サマーキャンプがきっかけで、本来は出会わなかったはずの選手同士が出会う。そこで新たな化学反応が起こり、それぞれの人生が変わっていく。バタフライ・エフェクトと言われるように、一人ひとりの勇気や行動、チャレンジが未来を変えていくことを期待しています」
甲子園を頂点とする高校野球では限られたエリート層が優遇され、“負けたら終わり”という仕組みのなかで燃え尽きる者を少なからず生み出してきた。そうした甲子園システムが日本の伝統的な文化をつくってきたのも事実だが、令和の今、個人がもっと輝ける舞台も同時に不可欠だろう。
理不尽より権利。組織のために犠牲になるのではなく、個人が自由にやりたいことを追求する。参加するのに一定の金額はかかるが、リーガ・サマーキャンプだからこそ手に入れられる価値が多くあるはずだ。