放屁の達人・水木しげるの生き方 一番好きなキャラクターは「ねずみ男」だったワケ
「死ぬというのはそんなに悪いことばかりではない」
「ゲゲゲの鬼太郎」のタイトルでアニメ化され、テレビ放送が始まったのは1968年。東京五輪から4年。日本の国民総生産(GNP)は、この年、米国に次ぐ世界2位になったが、高度経済成長がもたらした社会のひずみはさまざまな形で噴出した。
国は富山のイタイイタイ病や熊本の水俣病、新潟水俣病をそれぞれ公害病と認定。狭い国土での急激な経済成長と開発は、住宅難や交通事故の急増といったきしみも生んだ。
室町時代や江戸時代の幕末もそうだったが、先行き不透明で閉塞感が漂う時代に妖怪は人々の注目を集める。彼らは何らかの“警告”を発しているのではないか。人間の欲望や不安、ストレスなど様々な気分を吸い取って、妖怪たちは増殖した。
それにしても、死というと誰もが恐れるが、水木さんは「死ぬというのはそんなに悪いことばかりではない」とある対談で話していた。と同時に、目に見えない何かの存在を信じていた。
私もそう思う。文明やテクノロジーにどっぷり浸かった人間は、形のあるものしか見えず、音のするものしか聞こえない。昔の人は霊的なものを感じたり、発見したりする能力がとても強かったのだろう。
「怪談」を著した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン=1850~1904)のひ孫で民俗学者の小泉凡さん(62)は言う。
「水木さんの作品には、独特の世界観やユーモアあふれる人生哲学が込められていた。登場する妖怪たちの大半が、民衆の心に根差した民間伝承にルーツを持っているのです。それが幾世代にもわたって親しまれ、現在の妖怪ブームとなったのではないでしょうか」
水木さんが亡くなる5カ月ほど前、小泉さんはテレビの取材で水木さんに同行し、島根県松江市郊外にあるスダジイの神木を見に行った。「この木は600年生きている。でも人間の命は短い」。これが、水木さんから直接聞いた最後の言葉となったという。
次回は欽ちゃんファミリーの一員として人気を集めた歌手の清水由貴子さん(1959~2009)。静岡県の霊園で亡くなっているのが見つかったのは2009年4月21日。周囲に明るさを振りまく一方、母親の介護を続けていた彼女がなぜ49歳という若さで命を絶ったのか。