放屁の達人・水木しげるの生き方 一番好きなキャラクターは「ねずみ男」だったワケ
放屁の達人
幼少時の妖怪体験、戦場の地獄と南方の楽園。食べ物と眠りを愛した天衣無縫の人柄。その“大往生”を多くの人が悼んだが、印象的だったのは水木さんの影響を受けた識者たちのコメントだ。15年12月1日付の朝日新聞の朝刊社会面を読み返す。
文化人類学から人間の深層心理、哲学まで縦横に語る博識に驚いたのはノンフィクション作家の足立倫行さん(76 )。
《 『ゲゲゲの鬼太郎』で一番好きなキャラクターを尋ねると(水木さんは)『ねずみ男』を挙げた。いつも人間や鬼太郎をだましながらも、何もなかったように平然と姿を現す。戦争の不条理を通じて人間の裏にある本質を見抜いていたのだと思います》
妖怪研究で水木さんに師事した作家・荒俣宏さん(76 )。
《 明治以後忘れ去られた日本文化の根源、異なるものとの和やかなお付き合い、をみずから実践し、妖怪を次の文化資源として復活させた偉人。これほど大きくて、これほど楽しくて、しかも大天狗のように賢明だった日本人は、もはや出現しないと思います》
気取らず、ユーモア精神を忘れなかった。2003年、81歳で手塚治虫文化賞特別賞を受賞したときの贈呈式。「徹夜続きの手塚さんは早死にした。私は半分寝ぼけたような一生だったが、長生きした」とスピーチし、会場を笑わせた。
たしかに、子どもの頃から眠ることが大好きだった。布枝さんには寝ている子どもを起こすことも禁じた。日曜日など、昼になっても誰も起きず、家の中がシーンとしていたらしい。
屁も水木さんの得意技だった。しかも、小学生のときは芸術的な屁をかましていたそうである。「ブ」なんていう無機質で無愛想な屁ではない。学校の講堂で地元の名士を招いて紀元節などの厳かな式典が盛り上がってきたとき、「ナァプ~ン」と。複雑な音楽のような屁だったという。
《退屈していた生徒はドッと笑う。でも先生や名士は前の方にいるから、あわてて「気をつけ」なんて号令をかけたりするけど犯人はわからない。屁の証拠を押さえるのは難しい》(朝日新聞:07年4月3日夕刊)
そのうち水木さんが式典会場に入ってくると、「来たぞ、来たぞ」とスターみたいな扱いだったという。屁への期待。もちろん、そう簡単に屁をかますことはできないが、頑張ったそうである。
ところで、代表キャラクターの鬼太郎が誕生したのは1950年代。蛇の腹から生まれた鬼太郎が迫害を受けた人間に復讐するという暗い設定だった。その後、週刊少年マガジンなど媒体を変えながらも「墓場の鬼太郎」シリーズが定着。人間を困らせる悪い妖怪たちを退治する“正義の味方”として描かれるようになった。
茶碗風呂が大好きな目玉おやじや興奮すると化け猫に変身する猫娘ら、鬼太郎の仲間たちは実に魅力的だ。子泣き爺、砂かけ婆、一反木綿、ぬりかべもいる。
水木さんが妖怪に興味を持ったきっかけの一つは「『のんのんばあ』でしょう」と、早大名誉教授(比較文学)で山陰の民間伝承に詳しい池田雅之 さんは話す。武良家に手伝いで出入りしていた景山ふささんのことだ。幼い水木さんに、たっぷり妖怪や不思議な話を語り聞かせた。
「のんのんばあを通じて、見えない世界や異界への共感力を身につけていったのです」(池田さん)
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