「筒香」は“逆転弾”で復活! もがき続ける“一流選手”の苦悩を描いた『起死回生』はビジネスマンも必読
最強の控え捕手
山本はその後、代打として結果を残す。そして、1984年は門田博光の後を打つ5番打者として活躍し、115試合で打率.306、16本塁打を達成。1985年は全130試合出場でオールスターMVP、ゴールデングラブ賞受賞となり、以降は南海・ダイエーで3割打者の常連となる。そして年俸は2億円にまで上り詰める。まさに上司と同僚に恵まれれば大化けすることを地で行ったのだ。もちろん本人の頑張りと才能あってのことだが。
そして、もう一人、哀愁漂う選手が野口寿浩だ。
1989年にドラフト外で入団し、1991年に1軍デビューを果たす。次の出番は1994年。141打数38安打の.270、10打点という及第点を挙げる。しかし、95年は18試合、96年は11試合、97年は16試合の出場で3年間の打数はわずか43。
野口はその翌年、日本ハムの正捕手になり、阪神、横浜と渡り歩く貴重な控え捕手であり続け、39歳の年に引退したが、なぜヤクルトではそこまで活躍できなかったのか。理由は古田敦也という偉大なる正捕手がいたからだ。
〈「出番があれば、必ずいい仕事ができるように準備しています」なんて口にはするものの、どんなに頑張っても“最強の控え捕手”止まりの現実。追い打ちをかけるようにヤクルトは95年ドラフト会議で明治大学のキャッチャー野村克則を指名した。つまり、野口は“平成最高の捕手”に加えて、“監督の息子”とひとつしかないポジションを争うことになるわけだ。出場機会が減ることはあっても増えることはないだろう〉
あのトレードが……
日本ハムに98年シーズン開始直前に移籍するが、その時の記述はこうだ。
〈他球団でのプレー願望を捨てなかった新背番号54の“出されるトレード”ではなく、“自ら出て行くトレード”だ。〉
前阪神監督の矢野燿大については 「星野監督を見返す」遅咲き野球人生 という過激な章タイトルがついているが、これも痛快である。1997年、中日からは大豊泰昭と矢野が、阪神からは久慈照嘉と関川浩一という大型トレードが実現した。
〈「トレードが決まったから」 97年10月13日午後10時30分、自宅マンションの電話が鳴り、球団からそう告げられるのだ。想定外の阪神行き。その電話の内容を伝えると、愛知出身の妻は号泣したという〉
〈トレードを告げられた夜は悔しさから一睡もできなかったが、やがて矢野の中に「星野監督と中日を絶対に見返す」という気持ちが湧き上がってくる〉
結果的に矢野は阪神の不動の正捕手となり、2回のリーグ優勝を経験し、引退後は監督にまで上り詰めるのである。あのトレードが矢野の出世に大きく影響したのは間違いない。一方の関川にしても、1999年シーズンは打率.330で中日のリーグ制覇に大きく貢献。元々2人とも活躍していたが、配置転換でより輝いたのであった。
本書に登場する選手たちは一流でありながらも常に順風満帆だったわけではない。野茂英雄だってそうだ。上司たる近鉄・鈴木啓示監督との折り合いは悪かったし、MLB挑戦に対しては避難囂々だった。しかし、その後、雑音は結果で黙らせた。現在仕事でキツい人は一度読んでみてはいかがか。
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