記憶喪失「ピアノマン」の知られざる近況 地元の人間誰もが口を閉ざす理由とは

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言葉を濁し始めた地元記者

 ピアノマンの帰郷後、父親は2人の弁護士を雇ってマスコミに対応。その時の弁護士の一人に話を聞いてみたものの、

〈もう大昔のことですからね。約20年前に弁護士としてピアノマンを担当したのは確かですが、その後、彼がどうなったかは、まったく知りません〉

 と、つれない反応だったという。

 坂井氏が続ける。

「それならば、と地元紙記者に連絡をしてみたんです。すると、当初は『一時期、スイスに行っていたのは事実だけど、今はこの地域で健康に暮らしているよ』と話してくれた。それどころか、『彼の現在をよく知る人物に心当たりがあるから話を聞いてみる』とさえ言う。ところが、数日たって送られてきたのは、『役場の人たちも“グラッスルさんの息子のことは何も分からない”って言うんだ……』という期待外れの内容だったのです」

 地元記者が突然、言葉を濁し始めたことをけげんに感じた坂井氏は、思わず「本当に彼は今も生きているのか」と聞き返した。

「彼は『ピアノマンは病気ではないし、健康に生活している』と明言はするものの、それ以上は語りたくないといった感じでした」

街ぐるみで記憶にふたを?

 しかし、「その代わりに」とばかりに彼の口から語られたのは、この件に関する村人たちの“トラウマ”だった。その内容は大要、次のようなものだったという。

〈ピアノマンの現在を誰も知らないわけじゃないんだ。でも、当時はこの静かな農村に世界中から数百人の報道陣が殺到して大騒動に発展した。

 こんな小さな村だからホテルはあっという間に満杯になる。それで、牧草地にマスコミ各社がテントを張りバーベキューや飯盒炊爨(はんごうすいさん)などを始める始末。普段、真面目な報道機関として知られるドイツの日刊紙や週刊誌までもが、恥も外聞もかなぐり捨てて、競い合うようにグラッスルさん一家を追いかけまわしたんだ。

 ピアノマンの父親は地元の消防団のメンバーでもあり、村では尊敬される人物。そんな一家がホラーさながらの散々な目に遭った。あんなことはもう懲り懲りで、誰もあの悪夢を思い出したくないのさ〉

 坂井氏が言う。

「『居場所も消息も不明』だと言いながら、『間違いなく健在だ』と明言する。さらにこの記者は後日、『どうして19年も前の話を今さら聞いてまわるのか』と探るように私に尋ねてきたのです。ひょっとしたら、街ぐるみでピアノマン騒動の記憶にふたをしようとしているのでは、と思いました」

 ピアノマンのように、村人もいずれは口を開いてくれないものか。

週刊新潮 2024年5月2・9日号掲載

特別読物「これぞ世界仰天ニュース 国際版『あの人は今』」より

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