名優・小林薫の実像 なぜ内面から滲み出るものに観る側は惹かれるのか

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カビだらけの椎茸で食中毒

 同劇団入りから、しばらくは無給で、3畳のアパートで暮らした。やっと風呂付きの住まいを得たときには30歳になっていた。

「僕らの世代の役者で、ちゃんと20代でメシを食えてた奴なんかいないんじゃないですか。バイトはやりましたよ。ただ、僕の場合はいたってシンプルで、キャバレー関係のバイトしかなかった。それもチラシ撒きとか」(「sky WORD」2008年2月号)

 小林の内面からはユーモアも滲み出ているが、金のなかった劇団員時代のエピソードは、どこかおかしい。

 ある日、同劇団の美術担当だったクマさんこと芸術家の篠原勝之氏(82)と仲間のアパートに行ったところ、腹が減った。でも、仲間もやっぱり金がなく、食べるものが見当たらない。

 収まりがつかない小林とクマさんが台所を漁ったところ、鍋に入ったカビだらけの干し椎茸が出てきた。クマさんが「これは食える」と自信ありげに言うので、煮込んだ上、みんなで食べた。

 だが、やはり口に出来た代物ではなかったらしく、小林は食中毒を起こし、約1時間にわたって吐き続ける。一方、クマさんも不調を感じたが、お茶をガブ飲みしたら直ってしまい、平気な顔をしていたという。食料のある仲間のアパートに小林が泊まりに行き、冷蔵庫がカラになるまで居続けたこともあった。

人気を不動のものにした「ふぞろいの林檎たち」

 唐さんの教えを吸収し、良き仲間も得た。熱烈なファンも数多く獲得した。しかし、29歳だった1980年に劇団を去る。根津さんは先に退団していた。

「1度、パッと解体して、次は何をやりたいのかを自分で探してみたかったんだ」(「non・no」1982年3月5日号)

 もっとも、唐さんが小林に惚れ込んでいたため、円満退団とはならなかった。唐さんの著書『唐十郎血風録』(文藝春秋)によると、退団を思いとどまらせようとした唐さんが、包丁を持参して小林のアパートに乗り込んだ。

 その動きを小林は事前に察知し、アパートから脱出。なんとか刃傷沙汰は避けられた。物騒な話だが、やはりクスリとしてしまう。

 退団後はドラマ、映画からの出演依頼が相次ぐ。故・緒形拳さんが主演したNHK大河ドラマ「峠の群像」(1982年)で愚直な赤穂浪士・不破数右衛門を演じたところ、その渋い演技が評判となった。

 翌1983年、TBS「ふぞろいの林檎たち」に出演すると、人気は不動のものとなる。主人公の4流大生・仲手川良雄(中井貴一)の兄・耕一役を演じた。耕一は家業の酒屋を1人で黙々とこなす一方で病弱な妻の幸子(根岸季衣)を守り抜く男だった。

 当時はバブル前夜。地味な暮らしは敬遠されがちだった。しかし、耕一の実直な生き方は観る側の胸を突いた。

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