9歳で「妹殺し」の汚名を着せられた「ジョンベネ事件」兄の凄絶半生 「ただただ、普通の子どものように育ちたかった」
「兄があやめた」という大見出しを見つけ…
ところが、これらのほとんどが事実誤認に基づくミスリードだったという。
事件に詳しいジャーナリストによれば、
「結局、当初出ていた報道はほとんどが当局からのリークをもとにしており、捜査員たちの“身内犯行説”をなぞるものに過ぎなかった。“両親は捜査に協力的でなかった”との批判もありましたが、このような警察への不信感がそもそもあったのでしょう」
娘を凌辱され、命を奪われた上、世界中から「家族殺しの犯人」だと後ろ指をさされ続ける。テレビをつけても、新聞を開いても、自分たち家族の顔が大写しにされ、「殺人犯」のレッテルが貼られている。その精神的負担たるや想像を絶するものだったに違いない。
中でも夫妻が気を病むことになったのは、事件当時、ジョンベネの兄・バークがまだ9歳だったことだ。
「アメリカのメディアは9歳の子どもがいようとお構いなし。父親のジョンは後のインタビューで“自分たちが容疑者にされていることをいかに息子に気付かせないかに腐心した”と話しています。バークと買い物に訪れた母親がスーパーで『兄があやめた』というタブロイド紙の大見出しを見つけ、野菜を放り投げてバークを外に連れ出したこともあったそうです」
捜査当局がDNA鑑定の結果、ラムジー一家を容疑者から外すと発表したのは事件後、10年以上が経過した2008年になってから。ジョンベネの母親は、度重なる心労からか、卵巣がんに侵され、この報せを聞くことなく、06年6月に49歳の若さで亡くなっている。
「ただただ、普通の子どものように育ちたかった」
母親が息を引き取った2カ月後には、「ジョンベネを薬物漬けにして殺害した」と主張するアメリカ人男性がタイで逮捕されたこともあった。だが、
「結局、DNAの型が一致せず、ジョンベネ殺害事件については“嫌疑なし”に。彼はこの事件を研究するアメリカの大学教授に犯人を名乗るメールを送り続けていたのですが、全て妄想だったわけです」
10年の時を経て逮捕された“犯人”もシロ。となれば、再び始まるのが「では、誰がジョンベネを?」という散々繰り返された、おなじみの問答である。それは同時に、疑いの目が再び家族にも向けられることを意味していた。
依然としてくすぶっていたのは、兄が妹を手にかけ、両親が隠蔽(いんぺい)したという「兄犯行説」だ。
バークは事件から20年の節目となる16年に、心理学者が司会を務める人気トーク番組に出演している。「事件を風化させたくない」と初めてメディアの前で思いを語ったのだ。
「バークは05年にアメリカを代表する名門校の一つであるパデュー大学に入学。卒業後はソフトウェア・エンジニアとして働き、両親と違って、表舞台に出てくることはほとんどありませんでした。番組では『自分が犯人かのように報じられているのは悪夢のようだった』『ただただ、普通の子どものように育ちたかった』と切実な心情を吐露。自分たち家族への疑いに対しても『証拠を見れば、それが事実でないことは分かるはず』などと反論していました」
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